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陶の里で未来を想ふ〜前編〜

インタビュー

2021/09/24

福岡だけでなく世界的にも有名な小石原焼。「用の美の極致」とまで謳われたこの焼物だが、作品ばかりに目を向けてはいないだろうか。作品には必ず作り手が存在することを忘れてはいけない。


今回訪れたのは、小石原焼の窯元が立ち並ぶ東峰村で親子2代に渡って作陶を続けてきた「鶴見窯元」。この地で、父親から家業を受け継ぎ守ってきた二代目窯主「和田義弘」氏にお話を伺っていく。



(鶴見窯元)

義弘氏の父である米敏氏が昭和49年に「鶴見窯元」を創業。あの長嶋茂雄が現役を引退した年に米敏氏は現役となった。
作陶に励む父の姿を間近で見てきた義弘氏だが、元々は体育教師を目指していたそう。いずれは父の後を継ぎ作陶家になると考えていたが、最初から作陶家一筋というわけでもなかったようだ。
体育教師を目指していたものの、いずれ家業を継ぐなら早めに継ごうと思い、京都の伝統工芸専門学校に進学。京都で就職しようとしていたが、思うようなところが見つからず実家へ戻り小石原焼の作陶を始めた。



(鶴見窯元の作品)

「実家の窯元を出る事も考えてたんですけど、出るタイミングを見失っていつの間にか20年経ってましたね。」


義弘氏は笑顔でそう仰っていたが、その選択がかえって良かったのかも知れない。


伝統技術を習得するにはそれなりの時間を要する。そこから自身の思い描く作品を作るとなると、更に時間が必要になってくる。
飛び鉋(がんな)をはじめ、さまざまな技法のある小石原焼を習得するのも例に漏れず沢山の時間が必要になってくるが、早くから作陶の現場に入っていたおかげで技術習得や独自性の確立などが早くにできた。


陶芸家の平均年齢は低い傾向にあり、50歳でも若手に括られることがある世界だが、義弘氏は40歳台にして経歴20余年のベテランだ。
そんな義弘氏は「用の美の極致」とされる小石原焼の伝統を重んじながら、現代の用の美を織り込んだモダンで美しい唯一無二の作品を作り上げている。



(鶴見窯2代目 和田義弘氏)

「職人気質」という言葉が存在するほど、職人=堅物のイメージを持つが、義弘氏は全く違った気質の持ち主だ。
気さくで話し上手な人柄の彼は、訪れる者全てを暖かく出迎えてくれる。
伝統を重んじ技術を継承しながら、新しいことに挑戦して顧客の求めるものに応えるその姿こそ、これからの作陶家の姿だと言えよう。


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