筥松・銭湯「梅乃湯」の軌跡 ――跡地で未来をになって
コラム
2023/03/10
『梅乃湯』は東京オリンピックの前年(1963年)にオープン。
2022年3月まで約59年間にわたり営業。
長く地域に愛された銭湯でした。
『梅乃湯』誕生
公務員で転勤が多かった為、いわゆる"安住の地"を求めて筥松にやってきた吉岡さん一家。
「家を建てるなら、この地で何か商売も始めよう」と一念発起して始めたのが銭湯『梅乃湯』。
しかし当時、この辺りは畑ばかりで、周囲の人からは「こんな所でお風呂屋なんて...」と呆れ笑いされたとか。
だが、そんな周囲の反応とは裏腹に、
農業の機械化が進んだことで、納屋を持つ必要が少なくなり、変わりに九州大学の学生たちが下宿する場としてこの土地は変容していく。
学生が集まれば、当然銭湯も賑わう。
客層の7割程を学生が占めるなか、『梅乃湯』は地域になくてはならない存在として繁栄した。
共に歩んだ道のりを振り返って
吉岡さんに『梅乃湯』を営んでいて、嬉しかったことを尋ねると
「当時の学生さん達が卒業しても、たまにうちに寄ってくれたのが一番嬉しいね。そういう交流があったからこそ健康でここまで過ごしてこれた。だから何から何まで運が良かった。感謝しています」
御年93歳になる吉岡さんはそう言って『梅乃湯』と共に歩んだ歴史に想いを馳せていた。
それぞれの想いをニナッテ
現在は私たち『NINATTE九州』が、ここ梅乃湯の跡地で活動しています。
ですが、内装はほぼそのまま。
あえて銭湯の雰囲気を残し、更衣室だった場所を事務所として使用しています。
私たちの活動は"九州の伝統や想いを担う・繋げる"を主軸としており、
「土地や建物、技術が持つ何層もの想いの重なり」を分断せずに繋げることを大切にしています。
ーー古きを守り、時代に合わせて進化・変容する
繋げたい人と担いたい人。
そんな"想い"と"想い"の出逢いを、様々な角度から応援したいと思っています。
ライター:宮原 咲希
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