思い出の銭湯で新たな創造を アーティスト『銀ソーダ』
インタビュー
2023/4/14
福岡市東区箱崎にある旧銭湯『大學湯』。
昭和7年から約80年間営業を続けた大學湯は、
まるで当時のまま時が止まったような趣のある建物だ。
この銭湯跡地をアトリエ兼コミュニティレンタルスペースとして活用しているのは
箱崎出身のアーティスト、銀ソーダさんである。
大學湯という歴史の詰まった場所で日々新しい作品を生み出し続ける銀ソーダさん。そこには彼女の創作の基である”時間と記憶の重なり”という共通点がある。
「大學湯はどんな風に使ってほしいかな」そう考えながら動く彼女の根底には、大學湯への深い愛情があった。
親子三世代で浸かったお風呂 大學湯
今では主体となって大學湯で活動を行う彼女だが、
実は幼いころから大學湯を利用していたお客さんのひとりだった。
はじめてお風呂に入りに来たのは4~5歳の頃。
「母と祖母と、親子三世代で利用していました。
お母さんと一緒に来れば、お風呂あがりにコーヒー牛乳を買ってもらえると思って、それが楽しみでしたね(笑)」と、当時コーヒー牛乳を冷やしていたみどり牛乳の冷蔵庫を指さしながら話してくれた。
物心つく前から絵を描くことが好きで、小学生の頃は漫画家になりたいと思っていたとか、
「私が描いた絵を見て母や先生が褒めてくれることが嬉しかった。存在を認めてもらえるような気がして、最初は承認欲求から絵を描いていたところもあったと思う。
家族のために朝から晩まで働いてくれていた母でしたが、私がなにか賞をとったら一緒に授賞式に行ける!一緒にいる時間が増やせる!とも思っていました」
18歳、本当に絵で生きていくのか
幼いころから、画家として生きていきたいと思ってはいたものの、学生時代には進路選択に迷っていたという。
とりあえず勉強はできたほうが良いだろうと、高校は進学校に入学したが、
美術の授業もなく、やりたいことが違うと気づき学校生活に限界を感じてしまう。
「自分が空っぽになっていくというか、私はやっぱり人生を芸術に振り切りたかったから、満たされない感じがあって」
その不満に加え、学生時代ならではの人間関係の悩みや身体的な不調も重なり、
精神的にも体力的にもどん底まで落ちていたという。
「あの頃は絵を描く気力もなくて、学校にも行かず毎日母にネガティブな感情を吐く、それしかできなかった。そのとき母に『私はあなたを産んで幸せだった。でもあなたが生きていることがつらいなら、産んでしまってごめんね』と言われて。
あ、私は母にこんなことを言わせてしまったって、ずっと傷ついていたよねって気が付きました。そこから母のためにも自分のためにもちゃんと生きたいと思って。
私は何が好きか改めて考えると、やっぱり絵だなって」
周りの学生が受験勉強も終盤を迎える頃、絵を描く道に進む決意を固めた彼女は、今からでも受験できる芸術学部を調べ、大学に進学した。
今ではアーティスト『銀ソーダ』として活躍し、行動力溢れる彼女だが、当時は同世代の子たちと同じように将来に悩む学生だった。
そして彼女の芸術の道に進む覚悟は、大好きな絵を我慢し苦しい思いをした高校時代があったからこそ生まれたものだった。
アーティストとして、大學湯との再会
大学進学後の創作活動は学内だけに留まらなかった。
自身のSNSに作品を載せたり、学外の作家さんのもとへ足を運んだり、外との繋がりも持てるように積極的に動き続けたという。
「大学時代って自由な時間が沢山あるじゃないですか。その時間を有効活用しないとって思って動いていたから卒業後も作家活動ができたんです。もちろん『今』も大切ですが、先を見据えた動き方をしないと自分が前に進めなくなるなって実感しました」
そして大学を卒業した年の冬、たまたま見ていたFacebookで大學湯と再会する。
大學湯はすでに閉館しており、大學湯を活かしてくれる人を探している状態だった。
オーナーさんともご縁があり、大學湯をアトリエ兼コミュニティレンタルスペースとして活用していくことが決まってからの日常は彼女にとって非常に学びが多かったという。
「どこであっても自ら地域に溶け込んでいくことが大切だなって。地域の方々と溶け合う感覚。何かあったときはお互いに助け合うこともできますしね。これを地元の箱崎で知ることができて本当に良かったと思います。昔はネガティブだったし、とがっていたと思うんですけど、いろんな方と出会って、いろんな経験をして、今はポジティブになったし丸くなりました(笑)」
そう笑顔で語る彼女は、箱崎の街や人のこと、そしてその場所で自分がやっていきたい事を柔軟に解釈し活動しているように見えた。
"記憶と時間の可視化"大學湯と彼女が通じているもの
様々な青色で描かれているのが印象的な銀ソーダさんの作品のテーマは
"記憶と時間の可視化"。
時間というものは人それぞれが生み出しており、日々の記憶や感情が何層にも重なり『今』になっていることを、青のレイヤードで表現しているという。
そして大學湯もまた、地元の人々が湯に浸かりに来ていた長い歴史をもつ”記憶と時間が積み重なった場所”である。
彼女も、大學湯は自身の創作の世界観と一致していると感じるそうだ。
「大學湯自体がキャンバスになっているので、あとはそこに人が入り込むことで記憶と時間の絵の具が塗られていくのかなって。ここでコミュニティが築かれていくことが大學湯の新しい姿になっていくのかなと思います」
今、大學湯の風呂場の壁には彼女の絵が描かれている。
時間が経つにつれて大學湯とその周りの環境が変わっていくことを表現するために、一年に一度壁画に色を足していっているそうだ。
その絵に対しても鑑賞者の想像を掻き立てる存在であってほしいという。
「見る人によっていろいろ想像できると良い。壁画を見て海に見える人もいれば、上空から見た富士山に見える人もいるかもしれない。
心も体も健康じゃないと何かを生み出すことはできないし、”創造の余地”があることが豊かであるということかなと思います」
そう話す彼女が大學湯につけたコンセプトは『創造の湯で心を洗う』である。
新しい姿で動き出した大學湯で、訪れた人がそれぞれのペースで創造の湯に浸かっている姿を彼女は見守り、将来に向けてまた動き続けている。
「大學湯に押し上げてもらいながら、一緒にここまで来ることができた」と彼女は語る。
今の大學湯の姿は、箱崎という街にも大學湯にも深い愛情がある銀ソーダさんだからこそ作り上げられたものなのだろう。
※大學湯での活動に興味を持たれた方は、こちらの記事もぜひご覧ください。
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ライター:金子 華之
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