「その鑿(のみ)は、魂の形を削り出す」面(おもて)の奥に眠る”真実”を追う。能面師・藤村都寿

毎日通りかかる公園の並木や、部屋の片隅にある木製のテーブルを眺める時、私たちは何を見ているだろうか。

おそらく、心地よい緑の葉や、きれいに磨かれた天板の木目といった、「目に見える表面の美しさ」をなんとなく捉えているだけかもしれない。

しかし、能面師・藤村都寿(ふじむら くにとし)さんの目は違う。

彼がその木を見つめる時、視線は表面の皮を透き通り、何十年、何百年という歳月がその木の中心に刻んできた「目に見えない年輪の記憶」の奥までをも見抜いてしまうような、深いまなざしを持っている。

例えるなら、「物質のレントゲン写真」を撮るほどの実直な観察者。
私たちは、ただそこにある「形」を見ている。けれど藤村さんは、その形が作られるに至った「時間、空気、質感の理由」そのものをどこまでも深く見つめ、一塊の木の中に寸分違わず再現しようとする。その洞察の深さは、周囲が驚くほどの圧倒的な熱量を孕んでいるように思える。

福岡で額縁店を営みながら、能面制作とその指導を続ける藤村さん。

彼の人生の軌跡をたどると、一つの強烈な衝動が、まるでコンパスの針のように、常に一定の方向を指し示していることに気づく。

「本物を見たい」

本で読むだけでは、その魂の形はわからない。人から聞くだけでは、その質感は伝わらない。その物がある場所へ、自らの身体ごと赴き、質感、空気、そこに流れている時間までを五感ですべて受け取る。
一見、気ままな旅人のようでありながら、その実、誰よりも真摯に「存在の真実」を観察し、削り出すストイックな精神がそこにはある。
これから手仕事を志す方、自らの表現を模索する方へ。

創作とは、必ずしもゼロから何かを生み出すことだけではないのかもしれない。
先人が遺した「本物」という深い深い森へ入り込み、その魂の形に自らを同化させていく。
美しくもひたむきな情熱に満ちた、一人の能面師の生き方に触れていく。

自由という戸惑い、模倣という天来の才

幼い頃から絵を描くことやものづくりが好きだった藤村さんだが、学生時代の美術の授業で「好きなものを自由に描いていい」と言われると、途端に筆が止まってしまう子どもだったという。

「ゼロから自由に生み出すことには、どこか戸惑いがありました。何を描けばいいのか、どこから始めればいいのか。自分の中にあるものをただ自由に形にするということに、すぐには手が伸びなかったんです」。

一方で、彼が圧倒的な集中力を発揮したのは、「これと同じものを描きなさい」「同じものを形にしなさい」と示された時。

目の前にある対象を細部までじっくりと観察し、その線の意味を追い、できるだけ忠実に再現していく。周囲の少年たちが退屈するようなその模倣の作業に、藤村さんは深く集中し、この上ない心地よさを感じていた。

この経験を通じて、彼は自身の資質を深く理解していくことになる。
自分は、まったく新しいものを無から生み出す表現よりも、すでに存在する完成された世界を、細部まで正確に写し取ることのほうにこそ、全神経を注ぎ込める性質なのだと。

この一見、クリエイターとしては制約のようにも思える資質こそが、後に「型」の世界である能面と出会った瞬間、爆発的な強みへと転化することになる。

衝動は一年後に現実となる。フランスの空気とミケランジェロの衝撃

藤村さんの「本物を追う強い探求心」を象徴する、鮮烈な転機がある。

当時、滋賀の画材屋で店長を務めていた彼は、一冊の海外留学の本に出会う。日本で画材に囲まれて働きながらも、胸の奥で燻っていた「本場の美術を見たい」という情熱が、その瞬間に蘇ったのだ。

思い立った翌日、彼は社長の前に立ち、こう告げた。

「一年後にフランスへ行きたいです」

周囲を驚かせるほどの行動の速さだが、彼の熱意は、その衝動を決して「一時の夢」で終わらせない粘り強さにあった。

画材店の店長としての責任を果たすため、一年間という期限の中で資金を蓄え、独学でフランス語を猛勉強し、着実に足元を固めていった。

そうして本当に渡ったフランスでの一年間。半年間はレストランで働きながら、休日はひたすら美術館を巡る日々を送った。

「フランスは、生活の中に美術があるんです。建物、街並み、人々の暮らし、そのすべてが美術と地続きになっている。日本で商品としての画材を扱っていた時とは、全く違う皮膚感覚がありました」。

美術とは、額縁の中に閉じ込められた作品だけを指すのではない。その土地の空気、歴史、人々の生活の匂いの中に息づいているものであるという「真実」を、彼は身体で受け取っていった。

さらに旅を伸ばしたバチカンのサン・ピエトロ大聖堂で、彼の人生を決定づける出会いが訪れる。ミケランジェロの彫刻作品『ピエタ』を目の当たりにした瞬間だった。

「圧倒的な存在感でした。石でありながら、そこに本物の生命が宿っているような感覚。人間の手によって、ここまで強固な『本物』が作り出せるのかと、言葉を失いました」

身体の奥底から湧き上がるような確信が藤村さんの心を捉えた。

「自分も、彫刻をやりたい」。

本物を見たいという純粋な好奇心が、ついに彼自身の心を“創り手”側の世界へと突き動かした瞬間だった。

「仏像ではなく、顔(表情)を追求する世界へ」

帰国後、日本の木彫刻を学べる場所を探していた藤村さんは、滋賀県の能面師の師匠のもとを訪ねる。当初は仏像を彫ることを考えていた彼に、師匠はこう言った。

『仏像を彫る前に、まずは顔だけの能面をやってみたらどうだ』

それまで能の世界に親しんできたわけでも、能面に特別な思い入れがあったわけでもない。しかし、室町時代から安土桃山時代にかけて作られた古い能面(本面)を、そのまま寸分違わず写し取る「型」の世界に触れた瞬間、藤村さんの情熱が歓喜した。

「面の角度とか、この辺の肉の付き方だなというのが、最初から感覚的にわかったんです。どこをどう見るべきか、理屈ではなく身体が覚えているような感覚でした」。

能面は、強いオリジナリティや個性を前面に出すことを嫌う世界なのかもしれない。
先人たちが何百年もかけて研ぎ澄ましてきた形状、わずかな線の傾き、鑿(のみ)の痕跡を、どこまで深く受け取り、自分のエゴを消して正確に再現できるか。
個性を出すことよりも、受け継がれてきた「型」に自らを没入させる。

それは、幼少期に「同じものを写すことが得意だった」彼の資質が、何百年もの歴史を持つ伝統工芸の精神と、ピタリと重なり合った運命的な瞬間だった。

能面の奥にある「中間表情」という無限の深み

藤村さんがのめり込んだ能面の世界は、単に顔の形を模る(かたどる)ような単純なものではない。能面の本質は、静止した木の中に「無限の感情」を閉じ込める、世界でも類を見ない彫刻技術にあるという。

そして、能面には「中間表情」と呼ばれる特別な性質もある。

特定の感情を固定するのではなく、笑っているようでもあり、悲しんでいるようでもあり、あるいは激しい怒りを宿しているようにも見える。 ほんの数ミリの肉の付き方、目の彫りの深さ、口元のわずかな曲線によって、舞台上の役者が面をわずかに上下させる(曇らす、照らす)だけで、その表情は多様に変化する。

「わずかな角度、わずかな線一つで、面の魂が変わってしまう。だからこそ、古い名工たちが遺した本面を、どこまでも正確に、誠実に観察し、写し取らなければならないんです」。

自分らしさを表現する前に、まず先人のまなざしを理解すること。

作る前に、徹底的に見ること。藤村さんの能面制作とは、余計な自己主張を削ぎ落とし、過去の名工たちの思考に深く寄り添うような、極めて誠実で、かつ丁寧な精神の営みなのである。

好奇心はまっすぐ。アフリカの野生に見た「地球のむき出しの真」

藤村さんの「本物への探求心」は、アトリエの中だけに留まらない。
彼の内にあるストイックなまでのリアルへの渇望は、時に野生の生命力へと向かう。

ある時、国内のサファリパークでキリンの舌に触れた彼は、その生々しい感触に激しく心を揺さぶられたのだそう。

「次は、本物の野生のキリンを見たい」

その思いが抑えきれなくなり、彼は4週間の休暇をまとめて取り、単身アフリカへと飛んだ。そこでの体験は、彼の探求心の深さを表している。
サファリの原野で野生のゾウの群れに至近距離まで近づいた際、巨大なゾウに激しく威嚇された。同行したガイドが青ざめるほどの緊迫した状況。普通なら恐怖で引き返す場面だが、藤村さんは「もっと近くで、本物の生態を見たい」という気持ちが勝ってしまい、猛進するゾウに追いかけられ、文字通り命の危険を感じるほどの瞬間を経験したという。

「アフリカで見たのは、人が作った洗練された文化ではなく、藁と牛糞で固めた住居や、その日を生き抜くために必死で物を売る人々の執念でした。文化や便利さの剥がれ落ちた先にある、むき出しの生命力。あの光景を前にした時、『地球そのものの真(リアル)』を見た気がしました」。

ミケランジェロの彫刻に宿る本物、古い能面に残る名工の魂、そしてアフリカの地平線で見た生存への執念。藤村さんの中で、これらはすべて「人間の、そして地球の、生々しい真実」として深く繋がっている。
この圧倒的な生命のリアルを体感しているからこそ、彼が木に向き合い、鑿(のみ)を振るう時の覚悟には、他者が切り込めないほどの、素晴らしい熱量が宿るのだろう。

ストイックさの底にあるもの

ここで少し、筆者の視点から藤村都寿という人の本質に触れてみる。

取材中、彼が発する言葉の端々には、「自分には何もない」という非常に謙虚な姿勢と、それとは裏腹な「観察眼への絶対的な自信」が同居していた。

現代の創り手は、「自分だけのオリジナル」を求め、個性を証明しようと必死になる方のほうが多いのではないだろうか。

しかし藤村さんは、その正反対を行く。彼は自分の個性を敢えて打ち消すかのように、徹底的に「型」をリスペクトし、没頭する。

その追求の深さは、並大抵のものではない。

一年間フランスへ行く執念、ゾウに威嚇されても凝視し続ける情熱。

これらはすべて、「人間のエゴを超えた、圧倒的な客観的事実(本物)」に魅せられた、ピュアな探求心の現れなのかもしれない。

そして彼のストイックさの底にあるのは、極めてバランスの取れた「現実主義」だ。

現在、福岡で独立して10年、彼は自身の能面制作を続けるために、あえて地道なポスティングや広告を丁寧に行い、額縁店の経営という現実の土台を自らしっかりと支えている。

「本当はもっと能面をやりたいんです。でも、好きなことを続けるためには、足元をしっかり固めなければいけませんからね」。

夢を追う情熱を持ちながら、誰よりも現実の重みを知っている。

この「大胆な衝動」と「堅実な継続」のバランスこそが、彼の彫り出す能面に、ただの模倣を超えた「本物の重み」を与えているのだと確信する。

伝統をひらく。最初の一歩を支える「伝承」の場所

能面を始めてわずか三年ほどの頃、師匠から「そろそろ教室を開きなさい」と背中を押されたという藤村さん。

道具を買いに来た客から「教える代わりに道具を売ってほしい」と言われた変わったきっかけから、彼の指導者としてのキャリアは始まった。

現在、彼の能面教室を訪れる生徒の9割は、完全な未経験者だという。

能面という、一見すると敷居が高く、伝統芸能の深い知識がなければ足を踏み入れてはならないような世界。しかし、藤村さんはその門戸を、驚くほど広く、優しく開いている。

「教えることは、単に手の動かし方を伝えることではありません。『自分にもできるかもしれない』という自信を手渡すことなんです」。

師匠の教室で、大人数の生徒同士が教え合う中で自然と培われた彼の指導力は、未経験者がどこでつまずき、どこに不安を感じるかを静かに、そして的確に見極める。

能面という伝統は、限られた職人の間だけで閉じていては、いずれ流れが途絶える。彼が素人の生徒たちに木の塊を渡し、一彫り一彫りを根気強く指導するその営み自体が、先人から受け取った「本物のバトン」を次の時代へ手渡していく、極めて能動的な「継承」のカタチなのだ。

これから手仕事を志すあなたへ。藤村都寿の歩みが問いかけるもの

「本物を見たい」

そのシンプルな衝動に、これほどまでに素真に、そして誠実に向き合い続ける藤村さんの姿は、私たちに心地よい刺激をくれる。

現代は、インターネットを開けば、世界中の美しいものや伝統工芸の画像が、指先一つで手に入る時代。私たちは「見た気」になり、「知った気」になって、器用に何かを作ろうとする。しかし、画面の奥にあるものは、本物の質感ではない。空気でも、迫力でも、そこに流れる歴史でもない。

藤村さんの語るエピソードが、これから何かを創ろうとする人々に教えてくれるのは、「徹底的に本物に触れ、自らの眼と身体を信じて、細部まで写し取ることから、本当の表現は始まる」ということ。

自分だけのオリジナリティが見つからずに悩む必要はない。ゼロから何かを生み出せない自分を、卑下する必要もない。

まずは、あなたが心の底から「美しい」「本物だ」と思える対象に出会い、その世界に自らのエゴを消して飛び込み、徹底的に観察し、真似てみることから始めてみてはどうだろう。

型を軽んじず、先人が遺した偉大な歴史に敬意を払い、同時に、それを手に入れるための地道な現実の努力を惜しまないこと。

衝動と堅実。

この両輪を持って踏み出すその一歩の先に、あなただけの「真実の手仕事」が待っているのかもしれない。


【ミライガクブチ】
HP:https://miraigakubuchi.wixsite.com/8170
Instagram:@miraigakubuchi

【藤村 都寿】
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銭湯 梅の湯(跡)の番台さん

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福岡県早良区で額縁店「ミライガクブチ」を営みながら、能面制作とその指導を行う能面師。
培われた「本物」を見る目で、彼は世界を見つめる。

ご夫婦ともに芸術への造詣が深く、店舗には大小様々な額縁が並ぶ。店頭で販売しているもののほか、オーダーメイドでの額縁制作も行っており、その繊細な技術は、フレーム部分への彫刻にも活かされている。

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