縁をつかんで来た場所が、居場所になるまで 「アリアケスイサン」三浦徹弥

乾燥機から出てきたばかりの海苔を、そっと手に取る。
パリッとした心地よい感触。そして光を放つような艶やかな黒。
自分が海で育てたものが、こうして目に見える確かな形になる瞬間。
そこに、何にも代えがたい確かな達成感が込み上げる。
「収穫があるっていうのは、やっぱり楽しいですよね」。
愛知県から東京を経て、福岡県柳川市へと移り住んだ三浦さんは、そう言って日焼けした顔をほころばせる。
海苔漁師として、今年で9年目。
しかし三浦さんは決して「海苔漁師として生きる」という強い決意をもって、この土地にやってきたわけではない。
お話を伺う中で見えてきたのは、目の前の出会いをただ大切にし、まずはやってみることの意義。そして「アリアケスイサン」という場所で海苔漁師として生きる心地よさに、歩きながら少しずつ気づいていった日々の積み重ねだった。
まさか、自分が海苔漁師になるとは思っていなかった

愛知県で生まれ育った三浦さん。前職は東京。店舗販売やグラフィックデザイナーなど、さまざまな仕事を経験してきた。
都会での目まぐるしい日々。精神的な負担。自分に合っている仕事とは何か……、次に進むべき道を探しあぐねていたという。
「ここではない、どこかへ」
新たな土地での再出発を考えたとき、ふと候補に挙がったのが、移住しやすい県として知られる福岡県だった。
移住を検討するなかで利用したのが、柳川市の「お試し移住」。現地での暮らしを3週間ほど体験できる仕組みだ。
その時出会った地域のコンシェルジュの方から偶然紹介された仕事。
それこそが、現在の職場である「アリアケスイサン」だった。

「よかったら、現場を体験してみないか?」
その誘いに、三浦さんは素直に頷いた。お試し移住期間中、海苔の仕事を3日間体験することに。
運命の悪戯か、その時期はちょうど海苔のオンシーズン真っ只中。
朝は暗いうちから起き、一日のほとんどを揺れる海の上で過ごす、一年でもっとも忙しい時期だった。
「あんなに長い時間、海の上にいた経験はなかったですね。でも、不思議と『自分にもなんとかできそうかな』と思えたんです」
体験を終えたあと、社長の古賀さんから「うちで正社員として働いてみないか」と声をかけられる。その一言が引き金となり、三浦さんは福岡への移住とアリアケスイサンへの入社を決めた。
それまでとは、まったく畑違いの海苔の世界。
「自分が海苔漁師になるなんて、夢にも思っていませんでした。ただ、第一次産業への興味はうっすらとありましたし、何より、せっかく紹介していただいた『縁』を大事にしたかった。その出会いを信じてみよう、と思ったんです」
都会での閉塞感を破ったのは、大それた覚悟や確固たる決意ではなく、目の前に差し出された一本の縁を信じてみようという、しなやかな素直さだった。
「1年の流れ」が見えたら、ぐっとラクになった
正式に移住したのは、その年の12月。海苔養殖が最も激しさを増す最繁忙期だった。
「最初の一年は、本当に目の前のことに必死でしたね。その年の、どの時期に何をやるべきなのかも全体像が見えていなかったので、ただ言われた通りに体を動かす毎日でした。でも2年目くらいから全体のペースが掴めるようになって。そこからは一気に、働きやすくなりました」
最初から完璧を求めず、歩きながらじっくりと仕事の流れを身体に染み込ませていく。全体の流れさえ見えれば、体力的に無理なく続けられることにも気が付いた。
「コツを掴めば、どの作業もそこまで力仕事ではないですよ」と三浦さん。
一見すると荒々しく大変に見える海の作業。しかし、決してムキ出しの力自慢だけが重宝される世界ではない。アリアケスイサンの海苔養殖には女性のスタッフも自然体で携わっているという。
海苔養殖の周期は、9月から3月の「オンシーズン」と、4月から8月の「オフシーズン」に分かれている。

オンシーズンはほぼ毎日海へと出る。
海苔づくりの始まりは、会社近くの筑後川の船着き場から。
海苔網を張るための膨大な支柱を船に積み、海に運び、一本一本立てていく作業だ。見渡す限りの広い漁場に、1か月ほどかけて少しずつ支柱を海に立てていく大仕事。
支柱を立て終えれば、休む間もなく海苔の種付け、生育確認、日々の収穫、そして夜を徹しての製品化。忙しくも濃密な毎日が続いていく。
「潮の満ち引きという自然の都合に合わせて動くので、『明日は朝4時から』『次の日は5時から』というように、日々働く時間が変わります。天候によっても左右されますね。ただ、東京時代のようなメンタル面での負担がほとんどなかったからか、時間が不規則なことによる体のきつさは、不思議とそんなに気になりませんでした」
そうして駆け抜けた多忙な繁忙期も、3月を迎える頃には、静かに終わりを告げる。

オフシーズンに入ると、景色は打って変わって緩やかなものに。
事務仕事や今シーズンの片付け、復旧、そして次のシーズンへの準備を、自分のペースで進められるスケジュールへと変わる。
「オンシーズンは確かに目が回るような忙しさですが、年間を通してトータルの勤務時間を見れば、実は東京時代より短いくらいなんですよ」と三浦さんは笑う。
オフシーズンは心にも時間にも大きな余裕が生まれ、休みも非常に取りやすくなる。事前に相談すれば、まとまった長期休暇を取ることも可能だ。
この、自然のサイクルに合わせた圧倒的な「オンとオフのメリハリ」こそが、三浦さんの心と体に深く馴染んでいった。
育てたものが、形になる喜び

海苔づくりの本当の魅力を尋ねると、三浦さんは少し真剣な表情で答えてくれた。
「自分が手をかけて育てたものが、最終的に『海苔』という完成された形になり、目に見える手応え、“実り”として返ってくること。消費されて終わりではなく、自分の仕事の成果がはっきりと残る。それが、これまでの都会での仕事との一番大きな違いですかね」

また、海の仕事だけでなく、イベントで直売の場に立ったり、大切な商談の席に同席したりする機会も増えた。最近では、社長の代わりに食品展示会などのPRイベントにも参加し、海苔の販売を一人任されることも増えている。先日参加したマルシェでは、用意していた自慢の海苔が見事に完売したそうだ。
「やっぱりすごく嬉しかったですね」と、この日一番の満面の笑顔を見せる。
冬の冷たい海で苦労して作り上げたものが、目の前で多くの人に受け入れられ、喜ばれていく。そのダイレクトな手応えに、言葉にできないほどの喜びと達成感を覚えていく。
直接販売の機会を大切にしているアリアケスイサンだからこそ、エンドユーザーからの生の声が、日々の営みの大きな活力になる。
「『以前通販で買って美味しかったから』『あのお店で見かけてファンになったから』と、うちの海苔をリピートしてくださる。その直接の声を聞くたびに、自分たちの作る海苔が、だれかの日常を幸せにしているんだと実感できるんです」

もちろん、知れば知るほど、海苔養殖の奥深さ、職人としての壁にも直面している。
たとえば「支柱立て」。干潮の限られた時間の中で、波に揺れる船の上から狙い通りに支柱を打ち込んでいく作業は、まさに一朝一夕では身につかない熟練の技だ。
「海苔漁師としての自分は、まだまだ30点くらい。職人としてできないことも多いので、これからもっと技術を磨いていきたいです」
自分をシビアに見つめ、一歩ずつ技術を高めようとする三浦さん。
しかしその横で、社長の古賀さんは「漁師としての技術はまだ満点ではないかもしれないけれど、海の仕事から販売まで、会社のすべてをしっかりと担ってくれる。総合評価なら、彼は120点満点ですよ」と横顔を温かく見つめて目元を和らげる。
ただの労働力としてではなく、その人の持つ力ごと丸ごと頼りにされている。二人の間には、そんな温かい空気が流れている。
「8年間続けてきて、これまでに辞めたいと思ったことはないですね。自分のペースを大切にしながら働ける今の環境には、とても満足しています」
たまたま出会った縁を信じて飛び込んだ未経験の世界。
しかし、そこはいつの間にか、自分らしく、自分のペースで歩みを進めていけるかけがえのない居場所になっていた。
前職の経験も、ここで活きる

アリアケスイサンの洗練された商品パンフレット。
実はこれ、前職でグラフィックデザイナーの経験を持つ三浦さんがデザインを手掛けたものだ。
海苔の生産だけで終わらせず、自社ブランドとして誇りをもって直接販売まで行う会社だからこそ、こうしたクリエイティブな仕事が生まれる。
海苔づくりとは一見、何の関係もないように思えた過去の経歴が、海の街で思わぬ形で輝きを放ち、自身の幅を広げる武器にもなっている。
いくつもの職種を巡り、遠回りをして海苔養殖の世界にたどり着いた三浦さん。
その道のりを支えてきたのは、特別な才能でも、強い決意でもない。
ただ、目の前の縁を大切にし、実際に足を運んでみること。体験してみること。そして、そこで出会った人々との関係にひとつずつ丁寧に向き合ってきた、誠実な積み重ねだった。だからこそ、社長の古賀さんとの間にも、家族以上の心地よい信頼関係が築かれてきたのだろう。
「自分にとって、何が苦にならず、何が幸せか」は、やってみるまで誰にも分からない。
あなたがこれまで歩んできた、一見バラバラに見える道のり。
それらは決して無駄ではなく、この有明海のほとりで、思いがけず誰かの深い助けになるかもしれない。
アリアケスイサンでなら、あなたの過去の些細な経験が、ここにしかない「強み」に変わるかもしれない。
東京での葛藤を乗り越え、一人の「海苔職人」として自分らしい生き方を見つけた三浦さん。
では、そんな彼を温かく迎え入れ、その個性を120%の信頼で開花させたアリアケスイサンの社長・古賀哲也さんとは、一体どんな人物なのだろうか。
古い漁業界の常識を塗り替え、有明海から全国へ「本物のおいしさ」を直接届けようと奮闘する、情熱的な3代目代表の想いと、会社が描く未来のストーリーを、ぜひ続けて覗いてみてほしい。





