一途な思いで人々の人生を彩る「ゆびわのこと」 川野良太

何か一つを心から愛し、それを自身の営みとして技術を磨き続ける。
それができる人は、はたしてどれほどいるのだろう。

モノレールが頭上を走る小倉の大通り。少し外れた路地に入ると、ガラス越しに作業場が覗けるシックでレトロモダンな店先が見えてくる。
今回取材をしたのは「ゆびわのこと」店主の川野良太さん。
貴金属を修理、リフォーム、オーダーメイドもする川野さんはジュエリー加工一筋に生きてきた。
この道一筋、まさに『職人』と呼ぶにふさわしい川野さんにお話を伺った。

原点は、16歳の恋

川野さんとジュエリーとの出会いは、当時付き合っていた恋人にプレゼントをしようと決めたのがきっかけだった。
当時、西小倉に住んでいた川野さん。家の近くにシルバーリングのお店があり、その店主と試行錯誤しながらオーダーメイドでジュエリーを作っていった。

「ハートをモチーフに作ろうって決まって、でも心って怒ったり、悲しんだり、色んな感情があるよねって。結局、凄く歪で、ほんとにハート?みたいな形のものが出来上がりました(笑)」

「でも『これ、一生懸命作ったんだ』ってプレゼントした時に、凄く感動してくれて」

懐かしむように、そしてとても楽しそうにその思い出を話してくれた。

「それがとても嬉しくて。心をカタチにして伝える、こんな良い仕事があるんだと思ったんです」

思いのままその店の店主に教えを乞い、作業で使う道具も揃え始めた。
それから4年間、ジュエリーのノウハウを教えて貰う日々が続く。

技術を求めて

自身も注文を受けながら作業していく中、その時持っていた技術だけではお客さんの注文に答えられないこともしばしば。
新たな技術を身に付けるため、勢いのまま貴金属が主な地場産業である山梨県へ向かった。川野さん、20歳の頃。

「僕は直感に任せて動いちゃうタイプで。山梨に行く時も直感で即行動して。行ってからアパートの届け出も就活もしましたね」

その後、ハイブランドジュエリーの工房に就職。
馴染みのない山梨での新たな挑戦は、容易なことではなかったはず。

「覚える技術の量もそうですが、当時は上下関係がしっかりしていて。知識を集めるのが凄く大変でしたね」

いわゆる 『見て覚える』の世界。
何か一つ教えて貰うだけでも先輩たちの隣に張り付いて機嫌を伺い、自分から能動的に掴みに行かないと技術は身につかない。

「当時はガッツもありましたし、技術が欲しくて欲しくてたまらなかったので」

険しい上下関係の世界で、技術向上のため10年の修業時代を過ごした。

その後地元である北九州へと戻り、貴金属・宝飾加工をする企業へと転職。

「2、3年間くらいですかね。毎朝、彫金の練習をしていたんです。30分でも1時間でも早く来て、根気強くやって」

「毎朝毎朝、同じ絵柄をずっと彫り続けるんです。これが全然上手くならないんですよ(笑)全部同じくらいのレベルで上達が見えないというか」

成長が感じられない期間、モチベーションを維持することも一苦労だったろう。そんな中、どうして努力を続けることが出来たのか。

「いくらできなかろうが楽しいんですよね。集中して。没頭して」

好きだから出来るんですと、川野さんは笑いながら話す。
気の遠くなる程の継続。さらに10年間、技術という技術をその根気と努力で少しずつ身に付けていった。

「ゆびわのこと」なら

企業に勤めながら技術を磨く中、『独立』という文字が漠然と頭のどこかにあった。

「やろう!と思ったのはオープンする一年前くらいですかね。結構ノリと勢いというか(笑)」

事前準備などもその1年程で終えたそう。
心配になるのは、独立するにあたり仕事で稼げるかどうかだが。

「僕の場合はそれまでに色んな人脈が出来ていたので。
仕事をくれる人も居ましたし、下請け仕事みたいな仕事を取ることも可能でしたね」

20歳の頃から道具や機材なども集めたり作ることをしていた。
勢いそのままに2023年、自らの店である「ゆびわのこと」をオープン。

これからこの店舗で目指していきたいことなどあるのだろうか。

「やっぱり続けることが一番だと思います」

短期的に考えることが多く、その時に思っていたことを実行に移したいと話す川野さん。

「例えば今は自分の作品しか置いていないけど、他のブランドさんのジュエリーも置いてもらうとか、他の作家さんに店内で個展をやってもらうとか。このお店ではいろんなことをやっていきたいですね」

加工屋は変わらずに規模を大きくしていきたいとこれからの展望を語ってくれた。

次の時代を担う人へ

約27年間この道一筋で駆け抜けて来たが、その中でどうしても目を背ける訳にはいかない、ジュエリー・貴金属業界の課題がある。

「若い人が育っていないのが現状ですね。それを危惧している人がこの業界にはたくさんいます」

川野さんをはじめとする貴金属を扱うことのできる職人の数が徐々に減っている。
業界全体でもなるべく安くて良い物を提供する傾向にあり、職人まで利益が届かなくなってきているのだ。

例えば 『彫り留め』という技法 (工具で地金を彫り、ダイヤなどの宝石を埋め込んで留める石留め方法)。
手作業で出来る職人が九州では川野さんの他に数名しか居ない。そのうち1人は70代の方だそう。

「昔は身に付けようと思っても教えてくれる人なんてまず居なかったし、ハードルが高かったんですけど。今はそんなこと言っていられないというか」

この課題に対して、川野さんも次の担い手の育成に励んでいる。

「僕も勉強会を開いたり、時には特殊な技術だったりを無料で伝えたりしてます」
「でもなかなか難しい技術なので、その1回聞いただけじゃやっぱり覚えるのが難しいです。何年も何年も努力して身につくものなので」

根気と精神力、そして長い年月が必要な仕事。その技術を自身に刷り込むまで遠く険しい道のりだ。

そんなジュエリー・貴金属業界に興味がある人に向けて、どんどんチャレンジしてほしいと川野さんは呼びかける。

「自分が興味があることに対して、何でも取り掛かって。ダメだったらダメだったでやり直せばいいだけなので。チャレンジして、行動して」


『まずやってみる、動いてみる』


必要最低限の荷物だけ持って直感のまま向かった山梨県。その頃から、川野さんの本質は変わっていないように感じる。

「留まっているのは勿体ないと思う方なので。僕も失敗だらけだったけど」

「でも、そうやって行動してきたことによって人とのめぐり合わせがよかったんです、今でもやっぱり繋がりがあるし。大事なんじゃないかなと思います」

「向こうからやってこないしね(笑)」

一途に、夢中に、あなたの思いが伝わるように

努力を続けた先で身につけた技術。
その技術を駆使して、お客様のジュエリーに加工を施す場合は一発勝負だ。

「緊張はしますよね。ミスもするんですけど。僕、下手な方なんですよ」

そう話しながら、筆者の前でその一部作業を見せてくれた。
レンズを覗きながら、手に馴染んだ技たちをジュエリーに吹き込んでいく。

1mmよりも小さな世界で。

「どうやってやっているんだろうって思うほど上手い人もいて。やっぱり上には上がいますね」

「でも、どこまでいっても終わりがないので、どんどんチャレンジ出来るんです」

何かを得ようとして、何かをやるのは楽しいと語る川野さん。
寸分違わず繰り広げられる神業。これまでの努力と溢れ続ける向上心が、確かな技術に繋がっているように思えた。

「『思いが伝わるものづくり』を目指したいなと思っていますね」

「特にマリッジリング(結婚指輪)とか、やっぱり思いをもの凄く込めたものだったりするし、一生懸命作ったものってそういう思いを乗せてくれるんじゃないかって」

「それに携われるのが嬉しいなあと思います」

積み重ね。少しずつ、少しずつ、技術を磨き、蓄える。
そして己の武器にする。
川野さん自身もまだ道半ばなのかもしれない。
今日も努力を重ねる川野さんは、『思いが伝わるものづくり』を磨き続けている。

ゆびわのこと
所在地 福岡県北九州市小倉北区馬借2丁目1-20
Instagram yubiwa_no_koto (ゆびわのこと)

この記事の執筆者

晴れ太

好きなものは水色、青、空、海、パピコ、ヨルシカ。
最近はココアシガレットの空箱を職場に溜め込むのがマイブーム。
短い文章を書いたり、読んだり。
たまにギター(上手くない)。1人のときは常にイヤホンをつけて音楽を流しています。

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ジュエリー職人川野良太

福岡県北九州市小倉北区
「ゆびわのこと」店主
20年以上貴金属加工に携わり、修理・リフォーム・オーダーメイドも手掛ける。
ジュエリー職人(貴金属装身具製作技能士1級)

金槌集めにはまった時期があり、店内には大小さまざまなサイズの金槌がある。

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