文化を守る箱から、文化を生む箱へ。『増田桐箱店』中村亮太

着物、陶器、骨董品。
これらの日本の伝統的な文化財が、いかにしてその品質を損なわずに現在にまで形を残せているのか。
その理由の一つに、『桐箱』と呼ばれる箱に守られてきた、という歴史がある。

増田桐箱店は、もうすぐ創業100年。
米びつを始め、桐箱の新しい用途を生み出し、革新的な取り組みと確かな技術で注目を集めている。

そんな歴史と未来が交錯している桐箱店に務める、中村さん。

「普段は桐箱職人と、営業部長をしています。半分半分です」。

黙々と手を動かす職人の仕事と、顧客と向き合う営業の仕事。
正反対のように見える二つの役割を、兼ねることの大変さは計り知れない。実際に、このような働き方をしているのは、社内では中村さんだけ。

日々の業務に追われ、決して楽しいことばかりではないと語りながらも、中村さんはこう話す。

「ちゃんとした社員で働くのは、ここが初めてだったんです。ここが最後になればいいなと思います(笑)」

そう語る彼の歩みには、『気軽に始めた仕事が、一生ものになっていく』道のりがあった。

「ちょっとやってみるか」から始まった、人生の転機

中村さんが増田桐箱店に勤めたきっかけは、少し変わっている。

「知り合いがここに勤めていたんです。それで『バイトで入ってみないか』と声をかけてくれて。ちょうど『就活を始めよう』と僕が考えていた期間まで時間があったから、『じゃあその間に、やってみるか』と」。

桐箱については『知ってはいる』程度。
箱を作る業務を教えてもらいながら、自分でも『桐箱とは』とパソコンで検索していた。

ただ、もともと手作業が好きだった中村さんは、細かい作業の連続に驚きながらも、どこか楽しさを感じていた。

「で、その三ヶ月後に『今日から社員ね』って言われて(笑)」

現場は苦ではなく、むしろ面白い。入社を断る理由はなかった。

『手で覚え、手で伝える世界』に飛び込んだ先で

それからは、とにかく同じ作業を毎日こなす日々。
特に桐を削る力加減は、数をこなさなければ身につけられないという。

「僕の感覚では、一人前になるのに、大体1年〜3年くらいはかかります。僕は器用なほうではないから、難しかったです」。

それでも、扱える機械が増えていくことが嬉しかった。できることが増えるという実感が、日々の原動力になった。

そして入社して約三年後、営業職を任されることに。

「営業先は、陶芸家などの職人さんが主でした。こだわりの強い方も多くいらっしゃいます。だからこそ、現場を経験していてよかったですね」。

中村さん自身も、桐箱というものづくりを経験していることから、創りての視点に立った細やかな提案ができる。この業界において、『現場上がりの営業』は明確な強みになった。

「最初は、陶芸に関してもちんぷんかんぷんでした。でも用語を学びながら継続するうちに、作家さんから直接『こんな箱を作りたいから、中村君に見てもらいたい』って相談してもらえるようになって」。

人と話すことが好きだという中村さんは、もともと就職活動では営業職を検討していた。その自己分析の通り、中村さんにとって営業職は適任のように思える。

しかし、「工場の人数が足りないこともあるので、今も箱作りの現場は手伝っています」という中村さん。

「営業職員って、工場の二階にいることが多いので、そうなると職人と関わる機会が減るんですよ。だけど『半分工場の人』でいることで、全体が見れる。今負荷がかかっている工程を、サポートできたりするんです」。

「『こっちを前倒ししよう』って段取りを組めるようになったあたりから、ああ慣れてきたかもな、って思えるようになりました。営業も現場も両方やるっていうのは、正直しんどいですけどね(笑)」

大変さよりも、自分がやる意味に目を向ける。

こうして中村さんは、『半分営業・半分工場の人』という独自の働き方を突き詰めることになった。

『増田桐箱店』が最後になるといい

桐箱職人の仕事の誠実さを感じるのは、現代にいる私たちだけではない。
はるか遠い未来の人々も、その丁寧な仕事ぶりを実感することになる。

「某神社に国宝を収める機会があって。そういう案件は本当に緊張します」。

直接触れられない宝を収めるための、桐箱。

手も足も防護した状態で、一点ものの桐箱を製作することになる。入念な準備と打ち合わせを重ねて、中村さんは製作に臨んだ。

「あの桐箱が日の目を見ることは、多分もうないんですけど。でも何十年、何百年と宝物庫で国宝を収めることになるので。そんな箱を作れたっていうのは、緊張はしたけど喜ばしいです」。

そして増田桐箱店では、こういったオーダーメイドの桐箱製作だけではなく、米びつのような一般家庭で使用される桐箱の製作も行っている。

「社長がメディアに出るのもあって、うちの両親も仕事内容を知ってくれています。子どもも『小学校で増田桐箱店について調べよるよ』って言ってたりして。嬉しいですよね。自分の仕事を理解してもらえるというのは」。

「娘が、将来は増田桐箱店に入るって言うんです。勘弁してほしい(笑)」

やりがいを着実に積み重ねていった中村さんは、必然的に「ここが最後になればいい」と思えるようになったのかもしれない。

人の手で作るからこそ、守らなければならないもの

認知が広まり、製作数が増えてきたからこその課題もある、と中村さんは言う。

「気を引き締めなきゃいけないなと思います。というのも、量産する桐箱も、全て人の手を使って作るものなんです。でも注文してくれた人は当然『メディアで見た完璧な完成品が来る』と思っているわけですから」。

小さな傷一つすらも、『増田桐箱店』という名前を落としかねない。

増田桐箱店では、1日に2,000〜3,000個の桐箱をつくる。それ以上の日もあり、作る種類も、日によって様々。

これほどの量を手がけていると、どんなに気をつけていてもミスが起こってしまうことがある。

「切るのは機械だけど、どう切るかの数値の入力は人間ですし、削って組み立てるのも人間です。だから常々チェックを重ねていても、どうしてもヒューマンエラーはつきものですね」。

増田桐箱店は、材料も高価で希少なものを使用している。そして一度切ってしまえば、その材料を元に戻すことは不可能だ。
ミスによる損失は大きい。どれだけ納期が厳しくとも、良いものを届けるために一つ一つの作業で手を抜くことができない。

「作り直さないといけない状況もあるし、納期に間に合わなくなって、営業として納品先に謝るしかない時もあります。すごく怒られるときもありますよ」。

「そういう時を乗り越えられるのは、やっぱり僕が工場に入っていた経験があるからなんですよね。みんな頑張ってくれてるのも分かっているので。それに、『次からは、この工程を早めにやろうか』って、改善点も見えやすいですしね」。

ブランドを守るのは、『人の手で作る』という誇りと責任だ。

軽やかな一歩が、技術と人を繋ぐ

品質を保持し続けるためにも、技術継承をしていく上でも、中村さんは様々な提案をしている。

「うちは基本、現場へのスマホの持ち込みはしないようになっているんですけど、若いスタッフには『作業の動画を撮っていいよ』って言っています。僕もそうしているんです(笑)」。

上の世代の職人の世界では、『見て覚える』というのが主流だったのだそう。それだけ桐箱作りには、言語化では伝えきれない部分も多く、繊細な作業も要する。
そこで中村さんは、技術をこれからも引き継いでいくことを考え、先輩の作業の動画を残すことを勧めることにした。

「若いスタッフたちも、動画を何度も見返しているうちに『分かってきました』って言ってくれたりする。あとは、普段からたくさん会話をするようにしていますね。気になることを聞いてもらいやすい雰囲気を作れたらと思って」。

営業と現場。上の世代と下の世代。
様々な視点で桐箱作りを見ている中村さんだからこその『新しい学び方』の提案は、増田桐箱店をさらに加速させていくはずだ。

「ここでは、『職人』という言葉の敷居をあまり感じないでほしいんです。決して簡単なものではないけど、でも続けていったらできるようになるから」。

「きっと楽しくなっていきますよ」。

アルバイトとして飛び込む前の中村さんがこの言葉を聞いたら、どう感じるのだろうか。
「じゃあやってみるか」と、やはり一歩を踏み出すのではないだろうか。

「木でつくる四角い箱 日本一」
増田桐箱店は現在、未来を一緒につくる仲間を募集しています。

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正社員
脇役から主役へ「四角い箱で、世界を整える」 増田桐箱店求人New!!

【増田桐箱店】
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Instagram:https://www.instagram.com/masudakiribako/

この記事の執筆者

空前絶後のおせんべいブームが到来中。
ファンク・ハウスミュージックと、宇宙を感じるものが好き。

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木でつくる四角い箱日本一増田桐箱店

増田桐箱店の工場の中は、桐の素材と機械の音でいっぱいです。

ライターがそこに立っているだけで、従業員の皆さんがにこにこと挨拶をしてくれます。おおらかな雰囲気に満ちた空間でした。

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