「自分に負けたくない」未完の職人『小山社寺工業所』末岡 治人

日々、多くの人々が参拝に訪れる神社や寺院。
厳かな雰囲気をまとった建造物は、積み上げてきた圧倒的な時間を漂わせ、訪れる人々を静かに魅了する。
しかし、形あるものは必ず劣化していく。
歴史的な建造物のほとんどは木造建築だ。
長い歳月の中で雨風に晒され腐敗や虫食いの被害に遭った木材は新しいものへと交換し、荒が目立つ屋根は綺麗に一から葺(ふ)き直す必要がある。
福岡の地で440年以上もの歴史を誇り、重要文化財や神社・仏閣といった古建築の建築工事、屋根工事を担ってきた小山社寺工業所。
「檜皮葺(ひわだぶき)」と呼ばれる日本独自の伝統手法を主とし、修理・修繕に従事する職人、屋根下を支える宮大工など、各分野において至高の技を持つスペシャリストたちがここに在籍している。
先人たちの技術を受け継ぎ、後世に残す。
国家の宝とも言える歴史的建造物を陰ながら支える職人の一人、末岡 治人さんに話を聞いた。
背負う歴史、福岡の地へ

東京生まれの末岡さんは、高校卒業後、鳶(とび)職の企業へ就職。
約10年間、高所の建築現場で足場の組み立てなどを行う環境で腕を磨いた。
鳶職時代、数回ほど「宮大工」という仕事の名前を耳にしたことがあった。
純粋に”かっこいい”とは思っていたが、社寺仏閣に対して、特別深い関心があるわけではなかったという。
そんな中、人生の転機は突然訪れた。福岡県出身の妻から聞かされた、実家の話。
なんと、440年以上もの歴史を持つ小山社寺工業所の現代表が、義理の父にあたるという事実だった。
「『大工さんだよ』とは聞いていたんですが、ここまで歴史のある会社だとは思っていなくて」
東京で生活する中、妻の視線が故郷である福岡の土地に向いているのを感じた。
福岡に移住するということ。それは自然と、社寺修繕の職人になる道を歩むことを意味していた。
「悩みましたね。でも考えてもキリないというか。一回、吹っ切ってみようかなって。最初は、『ダメだったら帰ればいいや』くらいの感覚でしたね」。
抵抗がなかったと言えば嘘になる。
丸一年ほど悩み抜き、しかし最後は直感に身を委ねた。
約10年間勤め、慣れ親しんだ企業を辞め、全く知識のない社寺修繕の世界に飛び込んだのは、末岡さんが31歳の時だった。
30年後の未来へ、己の技術が試されるプレッシャー

歴史的な建造物の修繕・建築は生半可な技術では決して通用しない。
小山社寺工業所で働き始めた末岡さんは、その専門的な世界の広さと深さに圧倒されることとなる。
社寺建築の修繕とは、単に古いものを新しくする作業ではない。
何百年も前にその建物を建てた当時の人々の想いと、前回の修繕 (約30年前) に携わった職人が残した痕跡を紐解きながら施工していく難しさ。そして何より、次の修繕を迎える約30年後まで、己の技術の痕跡が残り続けるという責任の重さ。
その工程を全て手作業で行い、手元の正確さが求められる。それと共に、建物の造りや屋根の葺き方は時代や地域によって様々だ。
「1、2年目とかは、常にプレッシャーに負けそうになってましたね」。
現場に入る度、その専門知識の膨大さと、技術習得までの果てしない道のりを思い知らされた。
厳しい職人の世界で、先輩や親方の技術を見て盗み、食らいつく日々。
「『聞いて覚える』というよりは、『見て覚える』ですからね。0から100まで教えて貰えることは、なかなか無いです。でも、いざ現場に向き合った時に、『(親方は)あの時こうしてたな』って、点と点が繋がる瞬間があるんです」。
自分が実際にその作業を行っている風景をリアルにイメージしながら、考え、試す。
そのプロセスを経てこそ、ただ言葉で聞くよりも技術が身体にスッと馴染んでいくのだと、 末岡さんは語る。
「ずっと親方を頼ってたら、自分がダメになっちゃうので。どれだけそこで自ら考え抜けるかだと思います」。
試行錯誤を繰り返し、末岡さんは少しずつ、しかし着実に、歴史の重みに耐えうる技術を身に付けていった。
届かなかった技術、それでも金槌を握り直す

お手製の金槌は8本目
しかし、職人の世界はそう甘くはなかった。
ある時、社長に「やってみろ」と言われた仕事。
御社殿の脇に佇む、小さな境内社の檜皮葺き (ひわだぶき) 屋根の葺き替え作業だった。
その時すでに、仕事と平行しながら2年ほど、葺き師としての専門研修を経ていた末岡さん。
『今まで身に付けたものを、ここでようやく活かせる』
そう意気込んで臨んだ。
しかし現場に立つと、己の技術が全く通用しないという現実に直面する。
『あれ、全然できない。もう一回やり直そう』
『全然だめだ、もう一回、もう一回…』
一度失敗してしまうと、その工程で使った貴重な素材はすべて無駄になってしまう。
そして自分が施した作業跡が、そのままこの神社の歴史を繋いでいくという重圧。
そのプレッシャーに押し潰されそうになりながら、思うような成果が上げられないまま、無情にも素材と時間だけを消費してしまう。
「技術が理想に全く追いついてないことを痛感すると、『あぁ、まだまだだな』って本当に思いますね」。
小山社寺工業所の職人たちの現場は、福岡だけにとどまらない。
各地の由緒ある社寺へと赴き、一度現場に入れば3〜4ヶ月は住み込みでの作業となる。
現場では極限まで集中して仕事をこなし、出張先のホテルに帰れば、さらに図面や資料を広げて勉強に励む。
“一人前と呼ばれるその頂” を目指し、技術を磨き、知識を蓄え続ける長い道のり。
精神的にも肉体的にも挫折しそうになった時、妻との連絡が心の支えだという。
「会話すると、本当に元気をもらえるんですよ。『よし、また明日から やらないとな』って。いつも、結局そこに行き着くんですよね」。
遠く離れた地で家族への想いをエネルギーに変えて、末岡さんは今日も金槌を握る。
一作業、一作業に魂を込めるようにして、その手に技術を重ねている。
「視野を広く持つこと」の真価、そして一枚岩のチームへ
そんな末岡さんには、人生の中で今も大切に守り続けている言葉がある。
それは高校時代、所属していたアメフト部の監督から掛けられた一言だった。
『お前ひとり頑張っても意味がない。ベンチにいる奴も含めてディフェンス全員を見てやれ。お前が見ていれば、絶対他のやつもお前を助けてくれるから』。
強豪校の副部長でディフェンスの要だった末岡さん。勝負に勝つことへの執念が強すぎるあまり、どうしても周囲に対して張り詰めた空気を漂わせてしまっていた。
監督に諭された言葉は、彼の心にストンと入り込み、狭くなっていた視界をパッと明るく広げた。
「試合に出たくても出れない仲間もいるし、試合に出ても足がすくんでいるメンバーもいて。それを言われてからは、『周りの人のことを見なきゃな』って思うようになったんです」。
一人きりで突っ走っても、屈強な相手は止められない。
チーム全体が一枚岩となって初めて、いかなる猛攻も通さない強固な壁となる。

その教えは、現在の社寺修繕の現場でもしっかりと息づいている。
長期の工事期間中、自社の仲間だけでなく、他社の職人や関係者など、多くの人間との緻密な連携が求められるからだ。
張り詰めた現場の中で、職人たちが一丸となって最高の仕事を残せるよう、末岡さんは常に周囲に気を配りながら業務にあたっている。
「やっぱりみんな体を動かしてるのでしんどい時ってあるんですよね。そんな時に、お互いに声をかけあって、鼓舞し合えるような現場に憧れるし、僕自身がそういう環境作りをしていきたいです」。
“視野を広く持つこと”
それは、彼が今でも意識していることだという。
そして、これから入社してくる未来の若手職人に対しても、この意識が変わることはない。
「自分が弟子の頃、話をただ聞いてくれる人が有難かったんですよ。『今日こんなことがあって、しんどかったですわ』って愚痴をこぼせて、その人たちの存在が力になったので。僕も、そういう人間になりたいですね」。
この伝統建築の業界では、多くの人間が途中でその道を諦め、去っていくという。
ただ「社寺が好きだから」「伝統に関わりたいから」という一時的な憧れの衝動だけで走り続けられるほど、この道は平坦ではない。
人の働き方や生き方が大きく変わった現代で、昭和の世代と、令和の新しい価値観をもつ世代の丁度中間にいる末岡さん。
「だからこそ、双方の意見を聞き、調和を図れる人材になりたい」。
彼は、自らが伝統の世界の「架け橋」となる未来を、すでにしっかりと見据えている。
揺れない、倒れない心で歴史を繋ぐ

施工を終えた建造物を見上げる時、内から溢れてくるのは達成感だけではない。
完璧に仕上げたつもりでも、現場を終える度に『もっとこうできたはずだ』と、自分の未熟さと新たな課題が次々と見えてくる。
「『こうしておけばよかった』の繰り返しですね。『これが出来たぞ』って、気安く言えないし、思えない。だから、一生勉強なんだなと」。
「それを続けられるだけの忍耐力と、強さが欲しいです。上手くいかないと落ち込んで、『弱いな俺…』ってなるんですけど。『ここ踏ん張れよ』って。基本的に負けず嫌いなので」。
”自分に負けたくない”
まだまだ足りない知識と技術。
その圧倒的な現実に直面した時、己を鼓舞して立ち上がれる強い心。
それこそが、何百年もの歴史を支える職人に最も求められる、大事な資質なのかもしれない。
末岡さんは、小山社寺工業所に入社して今年で6年目。
一人前までの成熟度は、自身の体感として「まだ30%ほど」だという。
しかし、その30%の足取りの中には、東京での10年間の鳶職の経験、そして福岡へ来て一つひとつ積み上げた5年間の誇りが、確かに詰まっている。
長い歴史の通過点として、時を渡る建造物の存続をその腕に任されるという誇り。
修繕の機会に携われていることへの感謝を忘れず、現状に満足することなく、末岡さんはより高みを目指して技術を磨き続ける。
未完成の職人は、次の30年、そしてその先にある100年へと歴史を繋ぐため、今日も現場へ足を踏み入れる。
小山社寺工業所は現在、未来を一緒につくる仲間を募集しています。
求人記事では、小山社寺工業所の現場を内側から伝える若き広報、河野響(かわの ひびき)さんが登場する。
彼女が語るのは、単なる技術の説明ではない。
「なぜ私たちはこの仕事を続けるのか」「次の世代に何を残したいのか」という、仕事の誇りと責任の物語だ。
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