靴下、されど120% 愛おしい「待ち時間」をくれる、六本松のくつした屋さん『How’s That』

靴下が揺れている。
ただそれだけのことなのに、こうもちょんと愛らしく吊るされていると、不思議と好奇心をそそられる。

レトロなアパートの扉を開くと、あたたかい色彩の空間が広がる。
ここは、六本松のくつした屋さんHow’s Thatだ。

「これ、どう?(How's That?)」。

奈良県から福岡に移住したご夫婦、綾部舜さんと光里さんが自信を持って提案してくれるのは、ただ足元を覆う繊維ではない。
作り手、はき手、そして未来への想いが「120%」詰まった、人生をちょっと豊かにする物語だ。

「アクセル」な夫と、「ブレーキ」な妻。
そんな二人が織りなす、最強のパートナーシップ

迎えてくれるのは、漫才のような掛け合いが心地よい綾部夫妻。 小学校の同級生だという二人は、互いの個性を尊重し、絶妙なバランスでこの店を営んでいる。

「ざっくり言うと、僕がアクセルで、光里がブレーキ。僕がゼロから何かを考えて、そうしてできた『1』を、光里が膨らませて形にするんです」

舜さんがそう語れば、光里さんがすかさず口を挟む。

「といっても、実務の9割は私がしてると、自分では思ってるんで。自分ではですよ。実際はもっと多いかも……?」
「……今の一言で、我が家の力関係が分かりますよね(笑)」

この軽妙なやり取りに、思わず笑みがこぼれる。 遠く離れた福岡の地でお店を構えて7年目。二人が二人三脚で歩んできた道のりは、どのようなものだったのだろうか。

「日常の音」が消えていく。
故郷・奈良で感じた寂しさと、芽生えた使命

二人の故郷・奈良県広陵町は、100年以上の歴史をもつ靴下の聖地。同じ小学校に通っていた頃には、生活科の授業でも靴下産業を学んだ。

そして、光里さんはご実家が靴下工場ということもあり、

「光里の実家にも、工場見学で行ったんですよ」
「遠足みたいな感じで、歩いてね」

それらの授業で得たものを元に、学内で靴下に関する発表をしたり、端材を使った創作をしたり。彼らにとって、靴下は本当に身近なものだった。

「靴下って分業制なんです。編み立て工場で繋がってる状態にまで持っていって、そこからバラす人、ひっくり返す人、つま先の裁縫をする人……」

繋がっている状態の靴下と、非公認キャラのなまけもの

作業を次に繋げるために、靴下を積んだ軽バンが町中を忙しなく行き交っていた。「オレンジと青の袋に、パンパンに詰めてたよね」と思い出を振り返る二人。しかし、その声にどこか寂しさが混じる。

「そういう日常の風景が……」
「今はもう減ってしまって」

工場跡は、次第にスーパーやドラッグストアに姿を変えていく。
町の至る所で響いていた編み機の音も、今では少なくなってしまった。

二人が靴下で再会した日

小学校卒業後は、二人は別々の進学先へと進んだ。
光里さんは、大学卒業後、家業を手伝う形で靴下工場へ入社する。

「父が体調を崩して倒れちゃって、それで手伝って欲しいと」

初めはそれほど乗り気ではなかった。「就活嫌やな……ぐらいの感じで入った面も、正直ある」と、光里さんは飾らずに話してくれる。それでも、入社して2年が経つ頃にはすっかりのめり込んでいた。

「自分の人生をこれ一本にした方が、すごく生きやすさを感じる気がしたんです。就活の時に逃げの姿勢を取った後ろめたさがあったけど、かえってこれを貫けば、自分のバックボーンから全てが繋がっていくと思って」。

光里さんが靴下で生きていくと決意するまで、そう時間はかからなかった。
一方、舜さんはまた、違った歩みを進めていた。

「僕は集団行動が苦手で。個人事業主になりたいなっていうのが、小さい頃からあって」。

独立を見据えながら、さまざまな仕事を経験。「自分を表現する手段」を模索する中で、辿り着いたのが地場産業である「靴下」だった。

糸商に勤務し、周囲に「僕はこんな靴下を作りたい!」と熱意を語り続けるうちに、一人の職人が「お前がその気なら」と手を挙げてくれた。

そして、運命の歯車が噛み合う。 靴下の仕事をきっかけに、かつての同級生・光里さんと再会したのだ。

「これやりたくない?」
「こういうことしたくない?」
「こうやったら、もっと良くなるのにね」

時代とともに変化していく靴下産業を前に、未来を見据える二人の波長は、驚くほど自然に重なった。

創るのは、120%の『タンスに戻って来るのが待ち遠しくなる靴下』

「『無意識におたくの靴下を選ぶ』ってよく言われるんですよ」。

そう舜さんが話すほどに、『How’s That』の靴下は、はき心地がいい。その理由は、工程の細部まで説明できる、いわゆるトレーサビリティ。そして、『誠実さ』にある。

「できるだけ自分たちが信頼できる、糸屋さんを選ぶようにしています。だからお客さんにも、堂々と何も隠さずに説明ができる」。

しかしその価値を理解できるのは、説明を頭で理解した大人だけではない。

「今までキャラクターものの靴下しかはかなかった子どもが、パッてこう、干されている(How's Thatの)靴下を指さして、『あれがいい』とせがんだそうなんです」。

何も知らない子どもが、『How's That』の靴下を求める。はいてみて分かる「心地良いはき心地」の証明だ。

「多分、理屈じゃなく、肌で感じる『心地よさ』を子供は知っていて、『干されているあの靴下をはかせて』って。大人でいう『タンスに戻ってきたらはける状態』をすごく待ち遠しく思ってくれてるということかな」。

「そんな風に愛しく思える靴下でありたいし、僕らはそういうものづくりを続けています」。

大量生産が主流になっている昨今ではあるが、糸は生き物だ。編み方一つで耐久性も肌触りも変わる。

あるとき紡績工場へと足を運んだ舜さんは、職人の自信を肌で感じたという。常に、自分たちは120%のものを作っていると、強く思っているのだ。

「みんなが120%の気持ちで取り組んでくれてる。120%のコットンが、120%の状態で糸になってる。そうして僕らも120%のものづくりをする」。

「それでようやく、本当に120%の自信を持って説明できる靴下になるんです」。

ファッションの一部である靴下は、同時に肌に直接密着するインナーの役割も持つ。耐久性も、肌への優しさも必要だ。
「靴下も自分と地球のために選んでほしい」と二人は語る。

「乾くのに時間がかかるんですよ。私たちの靴下は、天然繊維をたくさん使っているので」。

足裏は、体の中で最も汗腺が集中している場所。だからこそ靴下は、通気性・吸水性も重要なのだ。
化学繊維は、速乾の代わりに水を吸わない。対してコットンは、よく水を吸い、そのぶん乾くのにも時間がかかる。

「そういう『気長に乾くのを待ってね』っていう意味もあっての、『タンスに戻って来るのが待ち遠しくなる靴下』」

天然素材の靴下と過ごす日々。
それは、「待つ時間」さえも愛おしくなる、豊かな暮らしの証なのだ。

関わるすべての人に「福」を。捨てられるはずの糸に宿る命

そこで、光里さんが衝撃の事実をぽろっと口にした。

「『タンスに戻って来るのが〜』というキャッチコピー、長すぎて私は嫌なんですけどね(笑)」

 光里さんのツッコミを受けて、考案したもう一つの言葉。
それが『一足来福(いっそくらいふく)』だ。

ブランドの魂、「一足来福」

「僕が造語で作ったんですよ(笑)」

靴下は分業制。一足を作り上げるまでに、多くの人が関わる。

「農家から、はいてもらう人まで。その一足に関わる全ての人に、福が来るように」
「福岡とかけてね」
「いや、それはたまたま……。まぁうん、はい(笑)福岡とかけてね」

にこにこと微笑む光里さんに、舜さんは肩を落としながらも、つられて表情を緩める。
こうして二人のブランドストーリーを表現するものとして、靴下はこの二つの帯に包まれることとなった。

『一足来福』の姿勢は、いたるところに散りばめられている。
たとえば『How's That』の靴下には、定番色がない。複雑に編み込まれている幾本の糸の色を決めているのは、お二人が信頼している職人さんだ。

「レシピ通りに作るよりも、培った経験を元に、楽しく技術を発揮してほしいんです」

ここでは、誰もが『下請け』ではなく、『クリエイター』なのだ。

余った糸は量り売り。または、コースターや座布団に形を変えてもいる。捨てるほうが楽に済むというのに、二人はこの姿勢を崩さない。糸を作った職人、ひいては資源そのものに対するリスペクトとも、受け取ることができる。

「120%の糸を作ってもらってるんです。だから、たとえお金のやり取りが完結していたとしても、そこじゃない。僕らは最後まで、この資源をどう使うかっていうのを考えてる」。

徹底した『一足来福』に、感服するほかない。

福岡でまく種、いつか日本の未来へ

舜さんは、家業で靴下に携わっていた経験があるわけではない。それでも靴下業界にスッと馴染めたのには、小学生の頃の学びが土台にあったからだという。

「僕は多分、あの時にハマってるんですよ。スッて業界に入れたのは、当時の経験が大きいでしょうね」

「自分が小学校の時に、誰かが種をまいてくれたものが、今芽を出している。そう考えると、奈良から遠く離れた地でも、次の世代のために種まきをすべきだと思うんです」。

舜さんのルーツがあるということもあり、二人はこの種まきの地に、福岡を選んだ。
やがて学校に招かれるようになり、今では年に数回、外部講師として、子どもたちに靴下について教えている。

「最終的には繊維業界だけでなく、日本のものづくり全体に、よい影響を与えられたらいいな」。

靴下についての座学と、靴下の端材を使ったワークショップ。常に120%で靴下と向き合ってきた先生による授業では、ものづくりへの姿勢、そして、ものをどう扱うかという生き方をも伝えられている。

二人の活動は、単なる小売店の枠を超えて、日本の伝統と技術を次世代へ継承する、社会的意義のある取り組みへと進化していくはずだ。

人が靴下をはくかぎりは

『How’s That』の靴下は、量産品に比べると決して安くはない。
それでも二人は、今の経営方針に迷いはないと口を揃える。本当に納得した上で、必要なぶんだけ手に取ってほしいと語る。

「私たちの靴下がもし日本からなくなってしまったら、それはもう『日本の損失や』ぐらいの気持ちでやってるんで。それくらいのプライドを持って作ってるから」

「人が靴下をはくかぎりは。うん、怖くないです」。

靴下について話を聞く。それだけでも、気軽に訪れてみてほしい。芯が強く、それでいてユーモアに溢れる二人は、きっと「こんにちは〜」とまったり迎えてくれるはず。

家のベランダで、ただ靴下が揺れている。それが『How’s That』の靴下ならば、それだけできっと、『大切にする』『大切にされる』ことの幸福に気付かせてくれる。

靴下、されど120%。
六本松のレトロな扉の向こうで、今日も二人は、あなたの足元と日本の未来を、温かく包み込んでいる。

【六本松のくつした屋さん】
HP:https://www.howsthat-shop.com/
Instagram:https://www.instagram.com/howsthat_shop/

アパート:福岡市中央区六本松1丁目4-11MM202
     11:00~18:00 不定休
平屋:福岡市中央区六本松1-3-12
   12:00~17:00 不定期営業

この記事の執筆者

空前絶後のおせんべいブームが到来中。
ファンク・ハウスミュージックと、宇宙を感じるものが好き。

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六本松のくつした屋さんHow’s That

仲良しご夫婦に、素敵な靴下を提案してもらえる場所。

多様なカラー展開の靴下を管理するべく、靴下に品番代わりのニックネームを付けている。たまにお二人のどちらかがネーミングに納得できず、喧嘩になる。

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