「初めまして」のぬか漬けを。ぬか漬けおと家 林音初

「『食べて食べて〜っ』て、小さい頃から、お菓子とかすぐに人にあげちゃうタイプだったんです」
そう笑うのは、穏やかな語り口と柔らかな雰囲気が印象的な林音初さん。
21歳で起業した彼女は、25歳になる現在も、『食べて食べて』とあるものを人に勧めている。
それはお菓子ではなく、日本の伝統食、ぬか漬けである。

カラフルに盛り付けられたぬか漬けは、まるでデパートのお惣菜エリアに並んでいる美しいサラダのようだ。プレゼントやお土産として人気なのも頷ける。

一番人気の「季節のお野菜詰め合わせ」は、四季の移ろいと共にその表情を変える。
山芋や芋づるなど、普段ぬか漬けとしては見ない食材も多く、バリエーションの豊富さに驚く人も多いのだそう。
「お客さんから、『これも漬けて』『あの野菜も試してみて』ってリクエストをいただいて。それに応えているうちに、いつの間にかこんなに種類が増えちゃって(笑)」
”人の初めてを見るのが好き”
”その人が体験したことのないことを、楽しんで体験してもらえると嬉しい”
常に行動理念が『人に新たな喜びを与える』ことにある林さんは、まだぬか漬けを食べたことのない人にも、「新しい食体験」としてのぬか漬けを届けるべく奮闘している。
では、なぜ彼女は21歳という若さで、あえて渋いイメージのある『ぬか漬け専門店』を選んだのか。その背景にあるストーリーと、秘めた想いに迫った。

父の心残りを、娘の感性で「再編集」する。
林さんが「おと家」を始めたのは、大学3年生の10月。コロナ期間中で休講が続き、ぽっかり空いた時間になにかできないだろうか、と考え始めたことがきっかけだったという。
「起業家庭だった」と語る林さんにとっては、起業することは特段珍しいことではなかった。親族に起業している人が多く、自身もいつかは、という漠然とした想いを抱いていた。
「何か始めたかったんです。ずっと探していました。でも、何も思い浮かばなくて」
もどかしさを抱えていた彼女に、道を示してくれたのは父の一言だった。
「『もう一度、ぬか漬けをやってくれないか』って言われて」。
林さんが小学生だった頃、お父様はぬか漬けダイニングを営んでいた。
しかし当時はまだ『健康』『ぬか漬け』というキーワードに世間は興味を示しておらず、志半ばで店を畳むことになったのだという。父の言葉には、時代に受け入れられなかった悔しさや心残り、そして娘への期待が滲んでいた。
「お父さんの一言で、ぬか漬けにピンときました。福岡にはぬか漬けの『専門店』はなかったし、私の地元・田川とは違って、家庭で漬ける習慣もあまりないのかなって感じていたので」
林さんの地元・田川では、一家に一台ぬか床があるのが日常の風景だった。
高校生で田川から福岡市へと住居を移した林さんは、まず「ぬか漬けと縁がない暮らし」に驚き、どこか違和感を覚えていたという。その引っ掛かりが、常に頭にあったのだ。
ぬか漬け独特の風味が苦手な人は多い。
だが、林さんが慣れ親しんできた北九州のぬか漬けは、一味違う。

「私の地元には、そこら中に山椒の木や唐辛子があって、家によってはぬか床が真っ赤になるくらいにそれらを入れています。そうすることで防虫効果を生むだけでなく、酸味をなくす役割をする。だから、酸っぱくなくて食べやすい、旨味の強いぬか漬けになるんです」。
ぬか臭くない、食べやすいぬか漬けならば、きっと珍しいし受け入れられる。ぬか漬けを食べたことがある人にも、初めて食べる人にも、このぬか漬けならば新たな体験を提供できるはずだ。
そうして父の想いと屋号を継いで、林さんは”おと家”の暖簾を上げることとなる。
とはいえ、若くしてたった一人での船出。そこに不安はなかったのだろうか。
「ぬか漬けは、美味しいので。この文化は絶やしたくないし、絶対にいけると確信していました」
入念な市場調査と、自身の出自や経験を掛け合わせた事業アイデアは強固だった。
「売る」ことよりも、「信頼」を貯めることから。
しかし、彼女の道のりは、決して順風満帆ではなかった。
特に、店を構えてすぐの頃は客足も遠く、店舗で一人、ただ時間が過ぎるのを待つだけの日も。
「最初の頃は、重りを背負っているようでした。ずっとここに座って、動かない数字を見つめて。『売らなきゃいけない』という重圧に押しつぶされそうでした」。
大学卒業後には、同級生たちは社会人となっていく。いつの間にか、自分だけが周りに置いて行かれていくような焦燥感に苛まれた。
林さんは「それまでは学生気分の遊び感覚だったのかもしれない」と当時を振り返る。
「なんとかしないと、なんとかしないとって。でもどうしたらいいのか、その時は分かりませんでした」。
「もっとやれるのに、十分に頑張れていないっていう自覚もあって」。

売りたいぬか漬けはこんなに良いものなのに、どうして売れないのか。どうしたら売れるのか。商品に自信があるからこそ、もっとやれるのにという想いは強まる。
そこで林さんが行き着いたのは、『信頼を蓄える』という『コミュニケーション』に焦点を当てた生き方だった。
「それまでは、信頼を使わせてもらうばっかりで、自分は誰かのために何もしてないなって気づいたんです。だから信頼を貯めようと思いました」。
飲食店仲間や、業務で関わる人々。お世話になってきた人に対して、今の自分ができることは何か。
相手が本当に助けてほしいときを見つけて、声をかける。力になる。そうして着実に信頼を獲得していくことが、自分には必要な過程だったのだと林さんは導き出した。
次第に誠実さと人柄が伝わるようになり、それに呼応するように、おと家のぬか漬けも広まっていく。
それまでは勇気を出せなかった、大きな商談会にも参加を決意。
「今までは、大手販売業者さんに卸すことが怖かったんですよ。でもこのままじゃダメだ、限界を超えられないって思って。覚悟を決めて飛び込みました」。
そして縁が縁を呼び、販路も拡大。同時に注力していたSNSをきっかけに、ぬか床教室の開催も依頼されるように。
今では製造場所が足りず、売り場と製造拠点を分けなくてはならないほどにまで、おと家は人気店へと成長を遂げた。
「初めましてのぬか漬け」を、福岡の、そして全国のスタンダードへ。
「まずは移転して、製造と販売を一緒にしたいです」。
「あとは、そこでぬか床教室も頻繁にしたいですね!」
空港にも置いてもらいたい。東京にも店舗を出したい。
今後の目標を尋ねると、林さんの口からは、次々と未来への展望があふれ出す。

決して得意ではないというSNSにも、課題意識を持って取り組みたいと語る。
「すごく難しいんですけどね。編集とか時間かかるじゃないですか(笑)だけどやっぱり影響力があるから、ちゃんと向き合わないとなって」
「『新しいぬか漬け美味しいよ〜』って、たくさんの人に伝えられたらいいですよね」。
年相応の無邪気な笑顔は、たくさんの希望に溢れて、日本の食文化を次世代へ繋ぐイノベーターとしての眼差しも光る。
多くの人々に、彩り豊かな「初めまして」を届けるために。
林音初さんと「おと家」の挑戦は、まだ始まったばかりだ。
【ぬか漬け おと家】
住所:福岡県中央区地行2丁目10−24コンフォートベネフィス西新東101
HP:https://nukazukeotoya.studio.site/
Instagram:https://www.instagram.com/nukazuke_otoya/
オンラインショップ:https://otoyanukazuk.base.shop/
この記事の執筆者
空前絶後のおせんべいブームが到来中。
ファンク・ハウスミュージックと、宇宙を感じるものが好き。





