つまみ細工がくれた、新しい人生。“好き”を貫き、九州へ咲く はつよさんの挑戦

2024年4月、福岡市・警固で開催された展示会。その会場で、私ははつよさんと出会った。
やわらかな声と、控えめな微笑み。奥ゆかしさのなかに、まっすぐな芯を感じる人だった。
その印象は、作品にそのまま表れている。
真っ白な布の上でにじむ色。一枚ずつ重なり合う花びら。繊細でありながら、見るほどに引力を感じる。
はつよさんが手掛けるのは、つまみ細工。
江戸時代、宮中の女性たちの髪飾りとして花開いた伝統技法だ。正方形の布を折り、指先でつまみ、花びらを形づくる――その精緻な手仕事は、一朝一夕では習得できない。現代では担い手が減り、継承が課題とも言われる日本の伝統的な技法なのだそう。
「これだ」と心が震えた瞬間
はつよさんがつまみ細工を知ったのは、ヘアアクセサリーを制作していた頃のことだ。
「なんだろう?って、軽い気持ちで調べてみたんです」
初めて布をつまんだ瞬間、胸の奥が震えた。
「言葉にできないくらい、しっくりきたんです。あ、これだ、って」
うまくいかない日も、評価されない日もあったはずだ。それでも、やめようと思ったことは一度もない。
「本当に好きだから。それだけなんです」
静かだけれど、強い言葉だった。
「白」から始まる、独自の表現

つまみ細工は本来、あらかじめ色のついた布を使うのが伝統だ。しかし、はつよさんはあえて「白」を選ぶ。
「最初は、なんとなく白を使ってみただけでした。最初の作品も白だったんです」
白には、余白がある。可能性がある。そして、光を受け止める静けさがある。
そこに一枚ずつ、インクで色をのせていく。
色が生み出す奥行き。幾重にも重なり合う色の層。偶然がつくり出すにじみと濃淡。そのすべてが絡み合い、ひとつの表情を形づくる。
同じ花びらは、ひとつとして存在しない。
たとえば牡丹の花は、外側から中心へと視線を移すたびに、深紅からやわらかなサーモンピンクへ、そして静かな白へと、溶けるように色を移ろわせていく。
「知っている限り、このやり方をしているのは私だけかもしれません」と彼女は言う。
美容師時代に育てた色彩感覚
はつよさんが色にこだわる背景には、美容師時代がある。専門学校では無数のカラー名を覚え、わずかな色味の違いを見極める日々を送った。
赤といっても一色ではない。ベージュも、ピンクも、ブラウンも、無数のニュアンスがある。その感覚を身体に染み込ませてきた。
「嫌いな色がないんです。全部、好きなんです」
その言葉通り、作品には色への深い愛情が宿っている。
独学で重ねた、膨大な時間
技術はすべて独学で積み上げてきた。本や動画で基礎を学び、美術館に足を運んでは色の重なりや光の落ち方などを観察する。構図を目に焼き付け、家に帰って再現する。そんな地道な研究を、ひとりで続けてきた。
つまみ細工は、できるようになるまで繰り返すしかない。だから、とにかく作り続けた。初めの頃は寝食を忘れるほど没頭し、何度も低血糖になったという。
「ちゃんとご飯を食べて、寝ることは必ずやるようになりました」
失敗した布は山のように積み重なり、研究に費やした夜は数えきれない。それでも彼女は、その時間を「苦労」とは呼ばない。
学生時代は吹奏楽部。東京では美容師として働いた。「練習が好きなんです」と語る彼女は、楽器も美容師としての技術も、隙を見つけては練習を重ねてきたという。
一作品にかかる時間は最低でも一か月。花びら一枚を仕上げるまでに何十回もつまみ、折り、整える。コツコツと積み重ねることを厭わない性格そのものが、作品の奥行きとなって表れている。
伝統と挑戦のあいだで、枠を超える

つまみ細工を「アートとして表現する」。
その道を選ぶことは、伝統との向き合いでもある。
「新しいことを喜んでくださる方もいる。でも、伝統を重んじるべきだと感じる方もいらっしゃると思います」
怖さがないわけではない。それでも、批判を恐れずにやる。なぜなら、それが自分の表現だからだ。
花をモチーフにしながら、龍や鳳凰、麒麟といった神獣を重ねる。伝統の文脈を持ちながら、軽やかに時代を越えていく。
「伝統を守りたい気持ちもあります。でも、伝統の中に閉じこもりたくはないんです」
「何の枠にも入らずにいたい」――それが、はつよさんが最も大切にしている姿勢だ。
もう一つの課題は、時間だ。手の込んだ大きな作品は価格も上がり、購入の敷居が高くなる。
かといって、小さな作品では持ち味が伝わりにくい。「何年かけて作るの?」と言われるほどの時間をかけながら、インパクトのある作品・購入につながる作品・その中間の作品――すべてをバランスよく作ることを、永遠の課題として向き合い続けている。
美容師時代が育てたもの――人生は、つながっている

少し前まで、はつよさんは東京で美容師として働いていた。
「美容師の経験は、全部いまにつながっています」
手先の器用さ。細かな作業を正確に仕上げる集中力。そしてもうひとつの大きな財産が、「感覚を言語化する力」だ。
「後輩に教える立場だったので、なんとなくでは伝わらないんです。どうしてそうなるのか、どこを意識すればいいのか。自分の感覚を言葉にすることをずっとやってきました」
その積み重ねがあるからこそ、つまみ細工のワークショップでも繊細なコツや感覚をわかりやすく伝えることができる。
「これからは、その強みを活かしてワークショップも積極的にやっていきたいです。作品をつくる楽しさだけじゃなくて、“できた”っていう達成感まで持って帰ってもらえたら嬉しいですね」
最初から“アーティスト”として活動する人は、そう多くはないだろう。はつよさんのように、本業を持ちながら趣味や副業としてコツコツ積み重ね、その先に表現者としての道を切り拓く人の方が多いのかもしれない。
「いきなり“アーティストです”って名乗れたわけじゃないんです。展示会を少しずつ重ねて、全国を回って、やっと自分の表現が見えてきました」
全国での展示会を通じて少しずつ知名度を高め、ファンを増やし、「これが自分の作品だ」と胸を張って言えるものを探し続けてきた。そして今、ようやく本業としてアーティスト活動ができる段階に立っているという。
「遠回りだったかもしれません。でも、その時間があったから今の作品があると思っています」
一見、遠回りに見えるその道のり。
けれど、その積み重ねこそが今の作品を形づくっている。
人生に、無駄な経験はない。
はつよさんの言葉と仕事の両方が、その事実を静かに、そして確かに物語っている。
安定より、好きなことを選ぶという決断

東京から福岡へ戻ったのは、父の病がきっかけだった。
「何かあったとき、そばにいたかった。ただ、それだけだったんです」
美容師として再スタートを切る道もあった。けれど、長く通ってくれたお客様の顔が浮かんだという。
「始めなければ、辞めることで誰かを悲しませることもない。そう思ったんです」
アートなら家で制作できる。父のそばにいながら、自分の世界をつくり続けることができる。その選択は、彼女にとって大きな意味を持っていた。
不安はある。お金のこと、未来のこと。それでも彼女は言う。
「不安は一生消えないものだと思っています。だからこそ、好きなことを選びたいんです」
20代の頃から決めていた。一生、好きなことをして生きていく、と。40代になった今、彼女はひとつのルールを掲げている。好きなことを10年間、全力で続けたら、自分はどう変わるのかを見てみたいのだ。
どれだけ不安でも、周囲に反対されても、思い描いた通りに進まなくても。
「自分の決断に、不満はありません」
はつよさんにとって、父との関係は「愛以外の何ものでもありません。それ以上でも、それ以下でもないです」と語る。家族の存在が創作に与える影響も、やはり「愛」以外にはない。
生まれてから育ててもらい、自立し、そしてまた戻ってきた。そのすべてが今の自分をつくっている。存在そのものが、創作の根底にある。
福岡から九州へ、そして世界へ

福岡に戻ってから、はつよさんは伝統工芸店で働きながら、アーティストとしての活動の幅を広げている。現在は、初めての個展の準備も進めているという。
「まずは、ちゃんと自分の足で立ちたいんです」
そう語る彼女の視線は、さらにその先を見つめている。
「佐賀の街並みに合うかもしれない、と友人に言ってもらって」
有田焼、鍋島焼、名尾和紙——伝統工芸が息づく土地で、自分の作品はどのように響くだろうか。

これまでで最も大きな作品、富士山をモチーフにした一作を制作したときのこと。
それを見た人が、こんな言葉を口にしたという。
「引き寄せられた」
「ずっとここにいたい」
その言葉は、彼女が重ねてきた時間のすべてを、静かに肯定するものだったのではないだろうか。
白に色を重ねる。
時間を重ねる。
愛を重ねる。
「つまみ細工を知らなかった方にも届いてほしいんです。伝統工芸に興味がなかった方にも」
日本の伝統技術を礎にしながら、アートとして自由に表現する。
どこにも属さないからこそ、新しい橋を架けることができる。
「私の作品が、何かと何かをつなぐ存在になれたら嬉しいです」
白い布の上に広がる色のように、彼女の挑戦もまた、静かに、しかし確かな根を下ろしながら、広がっている。
“好き”を信じ続けることは、決して簡単ではない。
それでも、布をつまむその指先は迷わない。
つまみ細工とともに歩むはつよさんの挑戦は、伝統を未来へつなぐ、新しい物語そのものだ。
その一歩一歩が、九州から、そしてもっと遠くへと広がっていく。
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