ここにあるものに目を向けて、創ることへの入り口を創る。『壱岐ZINE倶楽部』辻村いち

『物事のどこに目を向けるか』というのは、人に与えられた根源的な自由だと聞いたことがある。
とはいえ、いろんな情報が目に入る昨今では、その自由すらも保つことが難しく感じることがある。家に一人という状況だとしても、常になにかと接続されているような感覚は絶えない。
では、日本列島から少し離れたところでは、どう感じるのだろうか。

九州・玄界灘に浮かぶ、長崎県の離島、壱岐島(いきしま)。
そこで育った辻村いちさんは、現在は壱岐の市役所に勤務するかたわら、あるイベントを開催する団体を運営している。
「この倶楽部で活動をするために、私はいろんなことを頑張れているんです」。
彼女が語るその団体の名は、『壱岐ZINE倶楽部』。
漢字とローマ字のバランスが良く、スタイリッシュさとロマンを感じるこの倶楽部の名前からは、実態が分からずとも『壱岐』への愛が垣間見える。

『壱岐ZINE倶楽部』とはなんなのか。あるイベントとはなんなのか。
彼女のお話を伺う中でひしひしと感じたのは、『きっかけ』を育み、少しずつでも進むことの大切さ。そして、『運』を見つける辻村さんの目の良さだった。
『ないもの』につい目が行く日々
子どもの頃の辻村さんは、絵本や小説をはじめ、様々な本を好んでいた。
とはいえ、「自分で書くこと」はまだ考えてはいなかった。そして、「将来は壱岐のためになにかをしたい」というような夢を見ていたわけでもない。
むしろ壱岐に対しては、複雑な思いを抱えていたという。

「当時は、離島ってだけでまるで馬鹿にされているようで、壱岐をコンプレックスに感じていました」。
壱岐には美術館がない。マックもない。
テレビの向こうには当たり前にあるものが、壱岐にはなかった。そのことが、世間から爪弾きにされたような寂しさを生んだのだろう。幼少期の辻村さんは『ないもの』に追い詰められ、壱岐に対する引け目を募らせていた。
故郷に対する引け目は、そこで生活をする自分自身への引け目にも繋がりかねない。
ネガティブな思考に深く入り込みそうになることが、彼女には多くあった。そのこともあり、よく本を読み、他人の思考に触れるようにしていたのだそう。
そして、辻村さんが中学三年生になる頃。
「兄が亡くなって。もう、家族全員が沈んでしまいました」。
日常が崩れていくのを、目の当たりにした辻村さん。『この家は多分、元には戻らない』と思ったという。
この時の記憶は、のちの辻村さんに多大な影響を及ぼしていく。
外側に触れることで、内側に目が向くようになる
月日は流れ、辻村さんは都内の大学へと進学した。
壱岐の外。東京での大学生活。そこで辻村さんは、さらに衝撃を受ける。
「少し足を運べば、美術館や映画館があるんです。そして同級生には、バンドやってる子が普通にいたり、アート好きな子もたくさんいて。びっくりしましたね」。
東京は辻村さんの想像以上に、芸術や娯楽が身近にある世界だった。
進学先はアート系の大学ではないはずなのに、当たり前のようにそれらを享受できる環境が、そこにはあった。
「悔しいというか、寂しい気持ちが生まれました。やっぱり都会に比べたら、壱岐には、そういうのに触れられる環境がなかったんだと痛感して」。
頭では分かってはいたことでも、いざその目で見ると衝撃的だったのだろう。
故郷と都会との違いに胸のつかえを感じながらも、学生生活は過ぎていく。
そして、辻村さんの前に、新たな苦難が立ちはだかる。事情があり、大学を中退することになったのだ。
その頃の辻村さんのアイデンティティは、「勉強」にあったという。

「自分の価値は『勉強』にあると思っていました。だから、そこから外れてしまって、これからどうしようかと……」
自分は、社会に出られるのだろうか。辻村さんは、みるみる自信を喪失していった。
そうして彼女は、実家の壱岐に戻ることになる。
そのまま家業を継ぐことも考えたが、社会人経験がないこともあり、決心が難しかった。
では、まずは何か経験しなければ。
そう思った辻村さんは、偶然見かけた市役所のアルバイトに応募した。
するとそこで出会えたのは、優しく指南してくれる職員の人々。彼らと過ごす中で、辻村さんはまた、徐々に前を向くようになる。
「自分は働けるかもしれない」という自信が、働いているうちに沸いてきたのだ。
そして市役所の職員として勤務するうちに、次第に『壱岐にあるもの』にも目が向くようになる。
「子どもの頃は、『生活すること』の価値が分からなかったんです。でも大人になってみると、見方が変わっていました」。

「壱岐には、毎月と言っていいほど美味しい旬の食べ物があって、ちょっと車を出せばすごい綺麗な景色があって。私はただ、そういうことに価値を感じられてなかっただけなんだなって」。
美術館はなくとも、お金を払わずに楽しめる芸術が、壱岐には広がっていた。
0が1になれば、さらに増えていける
一方で、辻村さんの中にはある想いがくすぶっていた。
『文章を書くこと』への憧れだ。
「読むのはずっと好きだったけど、『自分は書ける側じゃないな』と思っていたんです」。
「『本当に欲しいものがあるなら、おのずと行動しているはずだ』みたいな言説ってありますよね。それを自分に当てはめて、今書いてないということは、自分は書ける側じゃないんだと。そして、そんな自分に落ち込んで。本当は大学のときから、文章を書いてみたいなと思っていたんですけど」。
それでも、書くことへの想いを完全に閉ざしていたわけではない。
辻村さんは、仕事で悩んでいた時期に、オンラインのライタースクールに入ることにした。
「やってみて、自分はライターには向いてないなって分かりました(笑)でも、そこで文章を褒められたのがすごく嬉しくて」
「その後に、小野美由紀さんのオンラインの小説スクールに入りました。4,000字くらいの短い小説を書いてみて、提出して。なんて言われるかなってどきどきしてたら、すごく褒めてくださって。本当に嬉しかったです。自分の文章が、こんなふうに誰かに届くのかと」。
大きな一歩を急に踏み出したわけではなく、おずおずと、自分の価値を確かめながら進んだ辻村さん。気付けば彼女のもとには、少しずつでも、確かな自信が積み重なっていく。
やがて、公募の文学賞にも応募するようになる。『小説家になりたい』という気持ちを、自分自身で認められるようになったのだ。

それからは、市の職員と、執筆を続けていく日々。
そしてある日、辻村さんは、何気なく「大福丸書店」に足を運ぶ。壱岐に移住してきた店主が営む、個人経営のセレクト系書店だ。
そこで彼女は、新たな衝撃を受ける。

ZINE(ジン)と呼ばれる、自費出版の本に出会ったのだ。
1でも100でも良いのがZINE
「その場には、ZINEを作ってる方もいらっしゃっていて。『ZINEってこういうものなんだよ』みたいな紹介イベントをやってたんですよね。それが、すごく面白かったんです」。
個人が、自由に本を出版するなんて。初めて触れるZINEの世界は、本好きの辻村さんにとって非常に興味深かった。
「書店の店主さんが『福岡でもイベントがあるんですよ』と教えてくれて、そのイベントにも行きました。10zine(テンジン)というイベントです」。
ZINEなら、自分も小説を出版できるのではないか?
そんな思いを抱えながら、壱岐から、福岡で開催された10zineに顔を出した辻村さん。
「衝撃的でしたね。すごく良くて。10zineさんは、普通のギャラリーみたいなところにZINEがずらっと並べてあって、みんな静かに興味持ったものに触れて、読んで、みたいな感じなんですけど」。
「元々知ってた『文学フリマ』は文芸に絞ったものでしたが、ZINEはもっと自由だったんです」。
二歳の子どもの言葉を集めたZINEもあれば、お弁当のかたちのZINEまである。
「10zineさんの雰囲気と、ZINEの、入り口がいろんな人に向かって開いている感じがすごく好きでした」。
形式の自由さと、人々の豊かな創造性が、辻村さんの心に深く刺さった。
「その会場でレジをされていた方が、たまたま10zineの主催者の人で。『どうやって出したらいいんですか』って聞いて、それから次の年には、私も出展しました」。
目を見張る行動力だが、「元々は、すぐに行動に移せるタイプではないんです」と辻村さん。
ZINEに対してすぐに行動できたのは、彼女が、日々小さなきっかけを拾い集めていたからなのだろう。
コンプレックスが、人との繋がりへと変わる
10zineのイベント後に、お茶会が開かれたことも、辻村さんにとっての大きな契機となる。打ち上げのような、フランクな場だった。
「お茶会で私は、すごく人見知りをしていたんですけど。でも皆さんに『壱岐から来ました』と言うと、『行ってみたい』『行ったことあるよ』って、壱岐について話してもらえたんです。それがすごく嬉しくて」。
かつてはコンプレックスだった故郷が、人との繋がりのきっかけとなったのだ。
すると段々、『島外の人も、壱岐に来て楽しんでほしい』と思うようになる。誰よりも辻村さん自身が、壱岐に魅了されていたからだった。

「それで、『壱岐でZINEイベントをしたら、皆来てくれるんじゃないかな?』と思えるようになりまして(笑)」
考え出すと、いよいよ開催への気持ちが高まる。
他の地域と比べて、創作や娯楽の機会が少ないふるさと。そこで、ZINEというこんなにも自由な世界があることを広められたら、どんなに良いだろうか。
これは『自分にしかできないこと』だと辻村さんは直感した。
ZINEの自由さと、創ることの楽しさ。そして壱岐の素晴らしさを身をもって知っている自分にしか、これは成し遂げられないのではないか。
「でも、イベントの主催なんてやったことがないから。『どうしたらいいと思いますか』って、仲良くしてもらってる地域おこし協力隊の方に相談したんです」。
「そしたら、壱岐のクロスポートという施設で、『サクセンカイギ』というイベントが開催されることを教えてもらいました。『壱岐でやりたいことがあるけど、どうしたらいいか分からないもの』をプレゼンして、みんなから意見をもらおう、というもので」。
驚くほど、辻村さんに合っていたイベントだった。
辻村さんは前のめりで資料を作り込み、『サクセンカイギ』に臨んだ。プレゼン中は、気付けば一時間近くも熱弁していたという。
すると、クロスポートの社長・秋山さんに言われたのは、「いつやるんですか?」という一言。
辻村さんの熱意は十分に伝わっていた。その場の流れは、開催に向けての具体的な話し合いへと移行していたのだ。
仕事の状況も鑑みて、辻村さんは決意する。
その日から二ヶ月後の「11月にします」と答え、第一回壱岐ZINEフェスの開催が決定した。
みんなで創る『壱岐ZINEフェス』
辻村さんは、元々縁があった写真家や画家など、ZINEに興味がありそうな方に声をかけ、『壱岐ZINE倶楽部』を発足した。壱岐ZINEフェスを決行するために、周囲の人々へ協力を募ったのだ。

「私は、ただの本好きの公務員で、ZINEイベントに役立つような特別なスキルを持っているわけではないんです」。
「だから、皆さんから意見やアイディアをいっぱいもらって、ようやく成り立っています」。
現在動いているメンバーだけでも、壱岐ZINE倶楽部には10名ほどのメンバーが在籍している。そして彼らは、ただなんとなく集結したのではない。
「『あなたが大事にしたいと言っていたことに、共感したからだよ』と言ってもらえて。それは本当に嬉しいです」。
辻村さんをはじめ、メンバーそれぞれに本職や、やらなければならないことがある。
それでも忙しい合間を縫ってミーティングに参加してくれる彼らに、辻村さんは心から感謝をしているという。
とはいえ、辻村さんにとっては、『人に声をかけて何かを企画する』という経験は初めてのこと。人を導くことへのプレッシャーもあったのではないだろうか。
「決まったからにはやらなきゃ、という気持ちでいっぱいでした。でもやっぱり意見の取りまとめとか、難しいこともあって。第一回の開催前には、『リーダーになるには』みたいな本を読んだりもしていました。読んで何が変わったとかは無かったんですけど……『とりあえずやってみるしかない』ということは分かりました(笑)」。
「外部の人とのやり取りから、イベントの在り方自体にもたくさん悩みました。上手くいかないと、『壱岐のイメージが悪くなってしまうんじゃないか』という不安もあって」。
それでもメンバーとともに試行錯誤を重ね、なんとか当日を迎えた。
30人くらい来てくれたらいいかな、という辻村さんの予想を裏切り、100人以上もの来場者が会場を盛り上げた。

結果は大成功。「先送りにせず、頑張ってよかった」と心から思えるイベントとなった。
「開催後の打ち上げのときに、メンバーから花束をもらえて、本当に嬉しかったです」。
「来場者の方からも『頑張ってるのがすごく伝わった』とお花をいただいて、嬉しいのと、すごくびっくりしました」。
自分と同じように『壱岐を盛り上げたい』と思っている人は、きっと多くいるはず。
そう強く感じたこの経験は辻村さんの糧となり、第二回・第三回への開催へと繋がっていく。
最初は自信がなくたって、きっかけさえあれば大丈夫
壱岐ZINE倶楽部の活動を通して、辻村さんには叶えたい想いがあった。
「この活動が、ひとつの地域振興みたいになっていけばいいなと思っています」。

「そのためにも、私たちは『きっかけ』になることを大事にしたいです。島外の人が来るきっかけと、島の人たちが創作に触れるきっかけに」。
「きっかけさえあれば」という辻村さんの感情の裏には、これまでの様々な経験が漂っている。
コンプレックスだった、壱岐の魅力に気付けたこと。
自分の価値は、そう簡単には失われないこと。
書く側じゃないと思っていた自分の文章が、誰かに届いたこと。
もう元には戻らないと思っていても、また家族で笑えたこと。
立ち止まっても、先が見えなくなっても、生きていれば、きっかけに出会う。そしたらきっといいことがある。
小さい頃から読んできた本を通して、そして自分の経験を通して気付き、感じたことを、辻村さんは多くの人に届けようとしている。
そしてその想いは、辻村さんだけではなく、壱岐ZINE倶楽部のメンバー全員のものだ。
「実は今年の春に父が亡くなって、その後に母も入院したりと、すごく気が落ちていた時期があったんです。もうイベントは開催できないかもと思いました。次の第三回ではもっと多くの人が関わってくれるから、半端になるくらいなら、やらないほうがいいかもと…」
「でもその時に、倶楽部の子が、背中をバン!って叩いてきて。『頑張れ!』って言ってくれて。『私、頑張らなきゃ』と思えて、立ち直らせてもらえました」。
取材中、何度も「みんなのおかげです」と口にしていた辻村さん。
もちろん、辻村さんがメンバーを支えることもあるようだ。「お互い様で、ありがたいです」と笑う辻村さんからは、壱岐ZINE倶楽部への愛がこれでもかと伝わってくる。

「私は本当に運が良いんです。本当に、人に優しくされながら生きてきたなっていう実感があって。周りの人たちのおかげで、こうして活動できています」。
辻村さんは、『いま自分の周りに広がっている景色』を大切に見ている。
綺麗に違いないその光景の入り口は、壱岐に行けば、もっと身近に感じられるようになるのかもしれない。
写真提供:髙田 望 / 長澤みずき / uta
【壱岐ZINE倶楽部】
HP:https://iki-zine.com/
Instagram:https://www.instagram.com/ikizineclub0928/
▼辻村さんのZINE『壱岐景色-いきしまがたり-』はこちらから
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この記事の執筆者
6月は毎日お弁当を作れたが、7月に入った途端にその記録は途絶えた。
いい器の購入は一旦保留にして、長谷川あかりさんのレシピ本を購入。毎ページときめきます。眺めるだけでも楽しい。
ZINEを通して壱岐の魅力を広め、多くの人に創作の楽しさを伝えるべく結成された壱岐ZINE倶楽部。
部長の辻村さんは、小さい頃から本が大好き。全国の学校に置いてもらえる本を書く作家になるのが夢なのだそう。
影響を受けた本のひとつに、「西の魔女が死んだ」などを挙げてくださいました。
壱岐ZINE倶楽部 POP UP STORE
長崎県・壱岐島を拠点に、創作活動やZINEイベントを企画・運営する「壱岐ZINE倶楽部」がPOP UPを開催します。
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開催日|2026年7月17日(金) 〜7月26日(日)
時間|11:00〜18:00
場所|ガーデンズ千早 本館1F エスカレータ下、特設会場(福岡市東区千早3丁目6-37)







