仏像彫刻の歴史を繋ぎ、1000年先へ今を刻む。仏師 城崎侊和

しんとした寺院の中で出会う、木彫りの仏像。
全てを優しく包み込むようなその佇まいは、訪れた人の心に安らぎをもたらしてくれる。
時代とともに、人々の祈りに寄り添ってきた木彫りの仏像たち。それらの多くが平安時代に作られたとされているが、古いものでは、約1400年前・飛鳥時代の職人によって作られ、現代にまで受け継がれているものもある。
この「仏像の木彫技術」は、仏教とともに伝来したという。
そして、その技術を用いて仏像を彫り出し、修繕を行う職人は「仏師」と呼ばれる。
福岡県飯塚市。
山々が美しいこの街に、一人の仏師がいる。
今回は、長い修行を経て仏師になったのだという、城崎 侊和(じょうざき こうわ)さんにお話を伺った。
己が歩むと決めた道。それがどれほど険しくとも、彼の覚悟が揺らぐことはなかった。

視線を奪われた若かりし日
福岡の地で生まれ育った城崎さん。子供の頃からどこか歴史を感じさせるものに心を惹かれてきた。テレビで文化財の特集が流れていると、つい手を止めて見入ってしまう。そんな少年だったという。
「古いものをどこか、かっこいいと思ったんですかね。歴史の授業は大っ嫌いだったんですけど(笑)」
修学旅行で訪れた京都の街は、強く記憶に刻まれた。漠然とではあるが、歴史の趣が残る街並みや独特の空気を「かっこいい」と感じたのだろう。その勢いのまま、大学進学の地を京都へと決めた。
京都で暮らし始めると、街の歴史への興味は日ごとに深まっていった。
「最初は、歴史を題材にした小説やゲームに夢中になっていました」という城崎さん。そして次第に彼の関心は、寺社仏閣巡りへと広がっていく。
そうして訪れる先々で、彼の目に強く留まるようになったのが『仏像』だった。

美しい彫刻造形はもちろんのこと、長い歴史を秘めた佇まいに、城崎さんの目は奪われた。
「引き込まれちゃったっていうのはありますね。昔の仏像って結構、迫力があったりするので」。
1000年以上も前に作られたものが、形を残して目の前に存在している。
圧倒的な歴史の厚みに、息を呑むような感動を覚えたという。
それ以来、仏像に会うために寺院を巡ることが、城崎さんの何よりの趣味となった。
「一生をかける仕事」へ心惹かれて
「ただ『好きなもの』という感覚でした。現代も仏像を作っている人がいるっていう発想はなかったです」。
仏像は、あくまで自身が好きなもの。
そして新たに作られるものではなく、”受け継がれていくもの”という認識だった。
それゆえ城崎さんは、『仏像に関わる仕事をする』という考えも無いままに、就職活動へ臨むことになる。周囲の学生と同じように、縁があった一般企業へ就職したのだそう。
しかしいざ働き始め、業務に追われる日々の中で感じたのは、「自分の居場所はここではないのかもしれない」という疑念だった。事務や営業の仕事も経験したが、働き方がどうにも自分の性に合わない気がした。
次第に、 ”一生をかけて打ち込める仕事” への憧れが膨らんでいく。
そうして過ごしていたある日、大きな分岐点が訪れる。
たまたま見かけたテレビ番組で、仏師の仕事が紹介されていたのだ。
「『今も居るんだ、こういう人が』って思いましたね」。
自分が好きな仏像は、今もなお誰かの手によって作られ続けているという衝撃。
「これだ」という確信が全身をかけ巡った。
その日を境に、城崎さんの世界は一変する。『仏師』という言葉が、どうしても頭から離れないのだ。
少しずつ膨らみ続けたその渇望は、やがて一つの覚悟へと変わる。
『自分が進むべき道』を決めた城崎さんは仕事を辞め、人生の舵を大きく切った。
仏師になるべく、一から導いてくれる師匠を探す旅へと踏み出す。
門を叩き続けて。揺るがなかった覚悟

「当時は、中学を出てすぐ弟子入りするのが一般的で、遅くても高校卒業後には始める人が多い印象でした」。
当時23歳の城崎さんにとって、受け入れ先の工房を探す道のりは長く厳しいものだった。
何度も工房の門を叩いては、断られ続ける日々。仏像彫刻の専門学校に入校するために、アルバイトや企業へ就職した時期もあったが、体調を崩してしまいそれも断念することに。
1年、また1年と歳月ばかりが過ぎていく恐怖が、重くのしかかるようになる。
「早く何とかしなければ」という焦燥感が、彼を追い詰めていく。
「別の道を探そうとは思わなかったのか……」。
思わずそう尋ねた筆者の問いに、返ってきたのはシンプルな答えだった。
「やりたいことを、やりたいからやる、みたいな。もう決めちゃってたので」。
強い覚悟を持って師匠探しを続けながらも、仏像製作の本を読むことや、実際に彫刻を始めることはしなかったそう。自己流の癖や、間違った知識を身につけてしまうよりは、まっさらな状態のままプロの教えを吸収する。それこそが、仏師になるための最短距離だと考えたからだ。
そうして、師匠を探し始めて5年が経った頃。
城崎さんは東京と富山を拠点とする師匠と出会い、念願だった弟子入りを果たす。
木と、鑿(のみ)と、自分と向き合った11年

自宅兼工房の中には、200本ほどの鑿(のみ)が並ぶ。1体の仏像で約50本ほど使用するそう。
ついに踏み込んだ仏師の世界。しかし、胸を躍らせるような余裕は無かった。
「最初は刃物が研げないことから始まって、木が上手く削れなかったり、仕上げが出来ない、形がとれない。身につけなきゃいけないことは、いくらでもありました」。
少しでも早く一人前の仏師へ近づくため、師を見て技を盗み、教えを乞い、修練を重ねる。
一定の技術レベルに満たない者には、相応の難易度/重要度の彫刻工程が割り当てられる。
しかし、それではいつまで経っても、胸を張って『仏師』とは言えない。他の弟子たちは生活をともにする仲間でもあり、仕事を取り合うライバルでもあった。
「彫る手順も最初は全然分からなかったですね。『何やってるんだろう』『何やらされてるんだろう』って思う時もありました。それらをちゃんと理解するまでには、5、6年くらいかかって」。
「習得は大変だったし、自分は要領がいい方ではなかった」と語る彼は、苦笑いを浮かべながら当時の心境を振り返る。
「でもそれはそういうもんですからね。出来ないことを、出来るようになるためにやってる訳ですから。師匠たちも、必ずしも教えるために仕事をしている訳じゃないので」。

修行時代に3年をかけて作り上げた作品。
中には弟子を辞める者も居たが、城崎さんはその手を緩めることはなかった。
日中の仕事が終わった後や休日の時間も、黙々と木に向き合う。 誤魔化しの効かない大きな仏像の制作にも自ら進んで挑み、技術を体に叩き込んでいった。
「きつかったですけど、辞めてもやりたいことがなかったので(笑)『早く独立したい』『上手くなりたい』という、気持ちの方が強かったです」。
より繊細に、より美しく。寸法の基準を頭に置きつつも、頼るべきは己の目と感覚。
衣の皺(しわ)の位置がわずかにずれれば、体躯のバランスが崩れる。眉の一線だけでもその表情はガラリと姿を変える。

やすりは使用せず、丸みを帯びた部分も鑿(のみ)だけを使用し完成させる。
集中して鑿(のみ)を振るっていた彼の胸の内にあったのは、両親の存在だった。京都の大学へ送り出してくれた感謝と、長年心配をかけ続けてしまった申し訳なさ。
「特殊な業界だっていうのは、親もある程度は理解はしてくれていました。
なのに僕が『しんどいしんどい』なんて言うのも、憚られますからね」。
自分の立派な姿を見せて、早く安心させてあげたい。
そしてあの頃の自分のように、見た人が心を許し、圧倒されるような仏像に少しでも近づきたい。
その思いで修行を続け、11年が経過した頃、師匠から雅号(がごう)が与えられた。
雅号とは、作家や画家などが名乗る別名のようなもの。
それは長きにわたる修業を終え、職人として認められた独り立ちの証明だ。
城崎さんは「侊」の字を授かり、ついに仏師として歩み出した。
その祈りに、確かな技術で応える
独立後は地元である福岡へ。自然豊かで静かな環境と、大型の仏像も制作できる場所を求め、飯塚市に新たな工房を構えた。
「1番最初に受けた、小さな観音様の依頼は緊張しました。お客さんから依頼を受けてからお金のやり取りまで、実際に自分でやるのは初めてだったので」。
彫ることだけに没頭できた修業時代との一番の違いは、依頼主をはじめとする「外部の人々」とのやり取りが生まれたこと。
「どんな仏像が欲しいか」という認識のすり合わせから始まる仏像制作。依頼主自身もぼんやりとしたイメージのまま、案件がスタートすることが多いという。
人と話すことよりも木と向き合い続けてきた城崎さんにとって、このコミュニケーションは未知で新鮮だった。
そして、慣れない作業や挑戦の連続だったからこそ、納品時に向けられる笑顔は何物にも代えがたかった。
「『依頼して良かった』と言っていただいて。そこまで喜んで貰えたのなら、それはほんとに良かったなと」。
依頼主の想いを汲み取り、仏師として誠心誠意応えることが出来た。
その確かな手応えが、彼の背中を優しく押した瞬間だった。

寄せられる依頼内容は、新しい木から仏像を彫り出すだけにとどまらない。時に、受け継がれてきた仏像の修復や組み立てを行うなど、その範囲は多岐に渡る。
「お寺さん自体が廃寺になると、中の仏像は修復されずに置かれたままになったりするんです。それを組み立てたり、部分的に新しく作ったりすることもあります」。
寺院からの依頼はもちろん、近年では「自宅に仏像を迎えたい」という個人からの依頼へも応え、案件の幅を広げている。
「祈りやご利益のようなもので。例えば、薬師如来様だと ”病気を治す” などの願いですね。だから中途半端なものは作れないので、『一生懸命作ろう』って思ってやっています」。
依頼主が仏像に託す想いは一人ひとり異なる。城崎さんは培った知識と技術を惜しみなく注ぐことで、依頼主の希望を形にしているのだろう。
やるべきことを、ただひたすらに

城崎さんには、印象に残っている言葉があるという。
『仏像は自分を誇示するものじゃない』
修行中に、師匠が口にしていた言葉。
彼は今もこの言葉を、心構えとして、仏像制作の根幹に置いている。
「性格的にも元々、自己主張するタイプじゃないんですが。しっくり来たというか」。
「この仕事そのものが誇らしい、みたいな気持ちはもちろんあります。やっぱり仏様なので」。
内から外に向けて己を表現するアーティストとは対照的に、仏師は外からの想いを受けて作品へと昇華させていく。依頼主の祈りを胸に、その人のためだけに、ただ一生懸命に木を彫る。
寺院の減少や檀家離れが進み、伝統産業を取り巻く環境も変わりつつある現代。
城崎さんは、寺院だけでなく「自宅に仏像を迎えたい」と願う一人ひとりの声に耳を傾けている。
そして、飯塚市の豊かな自然の中だからこそ、作り出せる温もりが、現代に生きる人々の心に寄り添っている。
「福岡にも平安後期の仏像があるんです。地域の信仰があって仏像は残っていて、歴史との繋がりもあります。そういう視点で仏像を見ていただいても、楽しめると思います」。
「仏像に、ぜひ興味を持ってもらえると嬉しい」と城崎さんは微笑む。
「仏像を彫ることは好きですか?」——取材中のそんな質問に、彼は少し首をひねり答えに迷っているようだった。
彼にとって仏像を彫り上げる日々は、身を削って生きてきた軌跡そのものなのだ。
今までもこれからも、目標は変わらない。
「人の気持ちを動かせるような、良いものを彫りたいです」。
そしていずれは、自分の技術を次の世代に繋ぐ役目もやってくる。
「自分で終わらせるわけにはいかないので。いずれは弟子をとってちゃんと(技術を)伝えてから、人生を終わりたいと思っています」。
自分を誇示することなく、ただ己のやるべきことを淡々と繰り返す。
彼が作った仏像は時を超え、これからも多くの人々の祈りに寄り添っていくのだろう。
きっと、1000年先の未来へも。

【仏師 城崎 侊和】
HP:https://jozakikouwa.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/kouwajozaki/
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