『脚の悩み』がなくなった先の、豊かな日々を届けたい。オーダーメイドインソール『あしのふくだ』義肢装具士 福田隼

難なく歩けること。脚がスムーズに前に進むこと。
その素晴らしさや喜びは、脚に何らかの苦悩を持っていた人ほど、強く感じるのかもしれない。

福岡市中央区笹丘、樋井川のすぐ側に建つアパートの二階。扉を開くと、想像よりも開放的な空間が広がる。
『あしのふくだ』福田隼さんは、この場所でフルオーダーメイドのインソール(中敷き)を作っている。

北海道で生まれ、インソールの有名企業がある高知県に移り住み、今では福岡で独立してインソールを作っている彼の人生は、まるで巨大なインソール街道をインソールを履いて歩んでいるかのように、常にインソールが土台にある。
「インソールを作ること以外に、できることがないのかもしれません(笑)こう言ったら怒られそうですが、私はインソール以外やりたくなくて」。
だというのに、「独立してしばらくは、インソールだけでは食べていなかった」という福田さん。配達などの副業をこなしながら、家族を養ってきたのだそう。
その背景には、『インソールという選択肢』が人々に思いのほか知られていない、という事実もあるという。
であれば、これからもっとインソールが普及するといいですね。
そう筆者が言うと、福田さんはしげしげと自身の足元を見る。
「『困ってる人に届けばいいな』とは思いますね。私は、必要としている人に、必要なぶんだけのサポートを提供したいんです」。
必要としていない人が多いのであれば、無理に広げる必要はない。インソールが一般的に知られていなくても、それはそれで別にいい。症状よりも過剰なサポートは、ただ高価なだけであるとも彼は言う。
福田さんの『脚の悩み』に対する向き合い方を聞いていると、次第に見えてくることがある。
ひとつは、彼がいかに『楽に歩けること』の素晴らしさを知っているのかということ。そしてもうひとつは、彼の目的が『インソールを作ること』そのものではないということだった。
生活が良くなる喜びを、人に伝えるためには
「私自身、すごくO脚なんですよ。他の人に比べて、脚が曲がっているんですね。だから脚に体重をかけた時に、力が外に行ってしまう。そうすると足が下がったり、スポーツをしていても痛みが出てしまったり」。
サッカー少年だった福田さんは、中学生の頃には、脚の痛みを自覚するようになったという。
とはいえ、当時はインソールという対処法を知らないまま、工業高校へ進学。
その後は大学へ入学するが、諸事情で退学し、以降は働いて資金を貯めていたのだそう。そしてその後は、ボランティア活動に2年間従事した。
「その2年間のボランティアは、自分のことじゃなくて困ってる人のために生活していたので。じゃあ次はどうしようか……と悩みました。すぐには定職には就かず、アルバイトをしながら将来を考えていました」。
「それで『やっぱりまた勉強したい』と思ったんです。そのタイミングで、ちょうど知り合いから、北海道工業大学の、義肢装具学科のことを聞きまして」。
北海道工業大学(現:北海道科学大学)は、日本国内で初めて『義肢装具士の養成課程』を開設した大学だった。
「『これはいいな!』と思いました。ここで学ぶことなら、人のためにもなりますし、自分の脚の悩みにも関係するなと思って」。
入学後は、様々な実習先で義肢装具に関する知見を積むようになる。
そして、大学2回生のとき。ある実習先の会社で、福田さんは初めてインソールを作ることになった。
”今まで膝の痛みや足が疲れやすいという症状があったにもかかわらず、自分のインソールを作ったことがありませんでした。”
”初めて使った感想は… あれ?全然痛くない…すごい楽!”
この時から、インソールが持つ『生活を変える力』に魅了されるようになった福田さん。
そのまま実習を重ね、義肢装具士の資格を取得。

「インソールを仕事にしたい」との思いのまま、インソールの有名企業のある、高知県への移住を決めた。
『予定外』から将来像を見つけ出す
福田さんは、高知県の企業に入社する前から、『いずれは独立したい』という気持ちがあったという。

「面接の時にも『ゆっくりゆっくり、自分でやっていける力をつけていきたいです』というのを伝えていて。自分の中で、大体10年くらいここでやれば、一通りの疾患や症例に対応できるようになると考えていました。だから10年は勤めるつもりで就職したんです」。
しかし実際には、10年ではなく、3年で離職することになった。
「就職して、結婚して子どもができたんです。それで、奥さんと『どこで子育てをするか』と話し合った時に、『高知以外がいい』って言われて」。
福田さんは奥さんの要望に沿って、高知県の企業を離れることに決めた。
そして、奥さんが以前住んでおり、「住みやすい街だと感じていた」という福岡県が候補に挙がったという。福田さん自身も、福岡は独立しやすい環境であると考え、そのまま福岡へ移住することに。
「一人で本格的にインソールの事業を始める前に、2年ほど様々な職場を経験しました。福岡に来たばかりの頃は、まだ『技術しか知らない』という状態だったので」。
独立にあたって、様々な角度から準備を進めた福田さん。
彼の『自分もお客さんも納得できる環境づくり』の土台には、ある経験が強く影響している。高知で勤務していた際の仕事の一環であった、『病院での義肢装具作り』だ。
毎日様々な病院に行き、医師の処方をもらい、患者の体の型取りをして、完成時にフィッティングの確認をする業務。
「独立したい、と強く思った」と福田さんは言う。
「病院では、患者さん一人に対して、忙しいと20分程度しか時間をかけられないんですよ。『始めまして』から『さよなら』まで、靴や脚を見たり、型取りする時間まで全部含めて20分で終わらせないといけない」。
「装具は安いものでもないので。私が患者さんなら、満足できないと思います」。
また、膝から下の装具を作るのがメインで、最初から最後まで自分一人で完成させることができたインソールは、1、2足だったという。
「インソールを仕事にしたい」という思いでこれまで歩んできた福田さんにとっては、決して望んでいた働き方ではなかっただろう。
だからこそ、独立のための『準備』もかねて、福田さんは真剣に仕事に取り組んだ。
「開業するっていうのをもう決めていたので、色々と準備を進めていました。私は口頭で聞くと忘れちゃうんで、とりあえずノートに全部バーッて書いて。業者からの仕入れについてや、何がどのくらいの単価なのかとか」。
この時の経験は、彼の独立時のイメージを濃くした。
「生活に密接なものを作る機会なので、あんまり人の目を気にしないでいられる場所だといいなと思いました。プライベートな空間で色々とゆっくり話せるような。素材や作りにもしっかりと納得してもらった上で、使ってもらえたらいいなと思って」。

現在の『あしのふくだ』の店舗は、広々としていて、訪れた人がリラックスできるような親しみやすさがある。そして、完全予約制。人の目を気にすることなく、相談することができる。
何より、フルオーダーメイドのインソールを注文できる。一人一人かたちの違う、脚の悩みに寄り添うために。
フルオーダーは、お客さんのためになれるのか
その後は、笹丘のアパートを借りて、念願の独立を果たした福田さん。
入念な準備と心づもりを持って挑んだ、新たなステージだった。
しかし、「初期に来てくれたお客さんには、申し訳ない気持ちがあります」と彼は振り返る。

最初は、簡易インソールなどを制作しており、フルオーダーがメインではなかった。また、簡単な機械1台ですべての案件に対応していたという。
「素材とかもすぐには見つけられなかったりして、知識不足でもありました」。
それでも、福田さんの仕事への姿勢が人々に伝わっていたのか、あるとき「フルオーダーでインソールを作ってほしい」という依頼を受けることになる。
「とあるおばあちゃんに頼まれたんですが、正直、あまり自信はなかったです。技術的には可能ではあったんですけど、従来の依頼と比較すると、倍くらいの金額になるので。無理してほしくはなくて」。
「でも、一度作ってみると、すごくやりやすさを感じました。それに、とても喜んでもらえて。そこからフルオーダーで作ることに対して、自信を持てるようになりました」。

今では、案件の9割以上がフルオーダーのインソールなのだという。一見高価に感じられても、「長い目で見れば、それ以上の価値がありますからね」と福田さんは言う。
また、特に印象に残っている案件を訊ねると、福田さんはこんな話を聞かせてくれた。
「5年くらいの付き合いの方がいるんです。それほど付き合いがあるっていうのは、それだけ調整を繰り返したりして、『うまくいかないことが多かった』ということでもあるんですが。それでもその方は、ずっと来てくれていて」。
「途中でフルオーダーに対応できるようになったので、それから歩きの調子が良くなったという方です。今ではもう、あまり来られていません」。
「何かの機会で、またいらっしゃるかもしれませんね」と筆者が言うと、「いえ、そうなったら私が行きます。近くにいらっしゃるので」と福田さんは笑う。

「このソファもその方がくださったんですよ。『家に入らないから使って』って。ありがたいですよね」。
『あしのふくだ』を訪れる人は、『フルオーダーのインソールだけ』に価値を感じているのではないのかもしれない。
「本当にお客さんのためになっているのか」と常に考えている福田さんの、仕事への取り組み方自体にも、惹かれているのではないだろうか。
『歩けるようになった』その先を
「開業した当初は、1,2ヶ月お客さんが来ないというのもザラにありました。掛け持ちで、Uber Eatsで家計を支えたりしていましたね」。
今でも波はあるのだそうだ。例えば、テレビ番組に取り上げられた際には、放送された1ヶ月半ほどで、去年1年分の注文数と同じほどの量のインソールを作ったという。

「単価を倍ぐらいにしても、多分できるとは思うんですが。でもそうするくらいなら、インソールを作って健康に近づいた脚で、自分の好きなこととか、家族とどこかに遊びに行ってもらうほうが幸せだと思うので。そういう考えで、この価格設定にしています」。
「生活はできているので」と言う福田さんは、「インソールを作っている会社は、いろんなところがあるので。みなさんには自分の合っているところで作ってもらえたら」と続ける。
お客さんの立場を深く考えている福田さんは、特に『インソール作り』自体が好きなのではないという。
では、そんな彼の原動力になっているのは、一体なんなのだろうか。

「インソールが一番、自分の生活に直結していて、『これで変われた』っていう確信と結果があったので。自分と同じように困っている人が、インソールを使って痛みがなくなったとか、歩きやすくなったとかっていうのが嬉しいんです。生活の変化を一緒に体験できているというか、間近にいられているというか。自分としては、一番モチベーションになっているのはそこですね」。
「『すごい人になりたい』とは思わないんですよ。ただ、来てくれた人がちゃんと満足して、楽しく、自分のやりたいことができるようになるのであれば。別に私自身はそんなに。それで嬉しいです」。
福田さんは、『すごいインソールを作ること』そのものを目的としているわけではないようだ。
難なく歩けること。脚がスムーズに前に進むこと。
その素晴らしさをよく知っている福田さんは、インソールを通じて、人々に『脚の悩みがない』ことの喜びを伝えているのだ。
【あしのふくだ】
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この記事の執筆者
6月は毎日お弁当を作れたが、7月に入った途端にその記録は途絶えた。8月は作ったり作れなかったり、ぼちぼち。
いい器の購入は一旦保留にして、長谷川あかりさんのレシピ本を購入。毎ページときめきます。眺めるだけでも楽しい。



