六畳一間から世界へ伝える、日本画の文化と職人技。『野の画家』代表・日本画家 立木 美江

福岡市の六本松。
路地裏の角を曲がった先に現れる、六畳一間のオープンアトリエ『野の間』。
扉を開けてすぐ視界に入る特注品の大きな棚には、日本画に使われる岩絵具が、背筋を伸ばすように行儀よく並んでいた。

「日本画に使う絵の具の何がヤバいって、色味だけじゃなくて、粒子の大きさにも違いがあるんですよ。マニアックでしょ(笑)それが絵の質感の違いにも繋がる。そうすると光によって絵の見え方が変わる。光を絵の一部として捉えるのが、日本画の考え方なんです」。
日本画家の立木美江さんは、このアトリエで日本画体験のプログラムを提供している。
画家としてすでに活躍している立木さんは、なぜこのアトリエを作ったのだろうか。
彼女の原動力には、日本画を支え続けてきた職人さんたちの姿と日本文化を築いてきた先人たちへの深い敬意があった。職人さんたちを応援したいという思いから始めた取り組みは、巡り巡って、彼女自身の背中を押した。
私の推し色を守りたい。職人さんと未来の北斎のためにできること
日本画を描くには、多くの画材や道具が欠かせない。
土台となる和紙と、絵の具や墨。そして、それらを和紙に定着させるための膠(にかわ)と、筆など。そのどれもに、職人の技が宿っているという。

「私一人が一生で使う絵の具の量って決まってるんですよね。大したことないというか。
だから日本画の体験をいろんな人にしてもらいたい、なんなら世界中の人に体験してもらいたい。そしたら私一人だけじゃなくて、たくさんの人が画材を使うようになるんです」。
その言葉の背景には、日本画家として、立木さんが向き合わなければならない現実があった。
「コロナ禍の時、いつも買ってた絵の具屋さんがいきなりなくなって。しかも、昔からやってるお店。そこがなくなったということに衝撃を受けました」。
当時の立木さんは、近所の画材屋さんに話を聞き、さらにショックを受けたという。
「“商売だから仕方ないよ。私たちだって30年もしたら、なくなるかもしれないよ”って言われて」。
「『自分が絵を描けるのは、この道具を作ってくれている人たちがいたからなんだ』と、失って初めて気づいたんですよ。日本画の画材は全部手作り。つまり、職人さんがいなくなるということは、私の推し色や和紙、筆が全部なくなってしまうということなんです」。

『時代や経済の変化と日本画材の関係』の存在に気づいた立木さんは、一念発起。ソーシャルビジネスを学ぶプログラムに参加し、社会問題を解決するために立ち上がった。
「『職人さんの厳しい現状』をどう解決できるかと考えた結果、『もっとみんなに使ってほしい』という考えにたどり着きました。『推し活』として職人さんをみんなで応援し、みんなに楽しく画材を使ってもらうことを目指しています」。
事業計画書とプレゼン資料を作成し、福岡県主催のビジネスコンテストで優勝。そうした実績を経て、立木さんはオープンアトリエ『野の間』をスタートさせた。
「日本画は図工の時間で眺めて見るものとして出てくる。でも描くことはない。だからみんな味わえないんですよ。食べものだって食品サンプルを眺めるだけじゃ勿体無い。実際に食べた方が美味しいに決まってます」。
事務所を改装して作ったアトリエでは、日本画についての基礎的な知識をはじめ、日本画制作の一連の工程の指導を提供している。
彼女による『眺めるだけではない日本画体験』は、子供から大人まで、様々な人々に広く吸収されている。
それを裏付けるような出来事が、取材中に起こった。
近所の子どもたちが、アトリエの窓から立木さんに向かって手を振っていたのだ。立木さんは嬉しそうに、手を振り返しながら、こう続けた。
「子どもたちはよくアトリエに遊びに来てくれる。そのおかげで、今の子どもたちが何を知っていて、何を感じているのかを知ることができる。どうすれば子どもでも日本画に興味を持ってくれるのか。それを子どもたちから教えてもらっています」。
人と向き合うと決めた。だからコミュニケーション講座にも行った
まるでトントン拍子のようなストーリーに思えるが、落ち込むことも多かった。
「絵を描くこと以外の世界は全て初めてで失敗ばかりでした。あちこちで怒られたり、謝ったり。傷つかないということはなかったです。人間関係を築けないだめな人間なんだと悲しくなって東京に片道切符で行ったこともあります(笑)」
笑いながら話してくれる立木さんだが、幼い頃から植物を描くことが好きだった一方で、人との関わりが苦手だったという。
「幼稚園のときなんかはクラスに入れなかったんです。カイヅカっていう植物の間に挟まってるか、トイレにいるかで一日が終わる。絵だったら人と関わらなくていい。この道だけで絶対生きていこうって決めたから、入院しようが手術しようが過労で倒れようが、“関係ねぇ!絵だけをやるんだ!”って(笑)」
立木さんの日本画に対する熱量の高さは学生時代の研究にも現れている。
琳派の酒井法一が描いた「夏秋草図屏風」についての論文は、800ページに上る超大作だ。
一般的に美術研究をする人は研究畑の人が多く、実際に日本画を描いている人が研究室に行くことは少ないという。
しかし立木さんは、日本画を描く人でありながら研究職に進んだため、絵描きとして解説をすることができた。学会賞も受賞し、博士号を取得。それでもやはり選んだのは、画家としての道だった。
「日本画家としてなら、絵画教室も展覧会もできる。『私の作品を認めてくれる方とだけ関わろう、絵で語ればそれでいい』と思って生きていました。でもどうやら人類はいっぱいいるらしいと気づいたんです」。

人との関わりを最小限にとどめてきたという立木さんだが、今年に入り、彼女のコミュニケーションのスタイルは大きく変わった。そのきっかけについて、話を伺った。
年が明けて間もない頃、立木さんは日本画の新たな公募展『日本画継環展』を立ち上げた。日本画と画材の継承、経済的な循環をコンセプトとして掲げている。この公募展を開催するにあたって、支援金を募ろうとクラウドファンディングに挑戦した際、立木さんの気持ちに変化が生まれたという。
「人付き合いを始めたのは、今年の4月から。それまで20年間、日本画家の先生として振る舞っていました。素の自分ではなかったんです。その調子のままクラウドファンディングでお話しした時に、みんなが優しい言葉をかけてくれて、他人を騙したような気持ちになりました。そんな人間じゃないのにって。ただのオタクだし、化粧も掃除も全然できないし、マヌケだし、うるさいし(笑)」
人には誰しも、いくつもの側面がある。それゆえ、場面や相手に合わせて見せる面が変わるのは、ごく自然なことに思える。
それでも立木さんは、『素ではない部分』が評価されることに、どこか心苦しさを感じた。
「自分を応援してくれる人たちの優しく美しい言葉の数々に除霊されてしまった(笑)その結果、人と喋ったり関わってみたら面白いんじゃないかと思って、コミュニケーションで相手に迷惑をかけないように白梅英子先生のコミュニケーション講座を受けに行きました。そこで人との関わり方や距離感をうまく取ることを学びました」。
『素の自分で心地よく人と向き合うために、講座を受ける』という選択も、立木さんらしいように感じた。
お話を伺う中で、たびたび、彼女の実直さが強く伝わってきた。
今自分に何が必要なのか、今自分にできることは何か、常に考えて考えて、その都度答えを見つけて正解にしていく。立木さんには、その力が宿っているように感じられた。
筆先のことだけでなく筆周りのことも考えて。立木さんが描く日本画の未来
人付き合いに対する価値観の変化は、立木さんの活動にも新たな影響を与えた。
そのひとつに、天郷醸造所とのコラボレーションがある。
2026年のカンヌ国際映画祭の公式セレモニーで振舞われた日本酒の化粧箱に、立木さんはひとつひとつ絵柄の違う日本画を描いた。
「黒地にきらめく雲母石の日本画材で描きました。実際にハリウッドセレブの前で提供されたんですけど、これがめちゃくちゃ評判が良かったんです」。
実際に制作の様子を見せてもらった。化粧箱は観音開きになっていて、開いた面にワンポイントの花の絵をあしらう。面白いことに、描いた直後は見えにくかった線が、時間とともにゆっくり浮かび上がった。

「日本画って描いた時には全く色がない、乾いたらこんな感じになるよねっていうのを考えながら描くんです」。

日本酒と日本画という異分野のコラボレーション。
その発想の根底には、お茶の世界から学んだ美学があった。
お茶の世界は、空間、道具、作法、精神性のすべてを一つの芸術として統合。それまでは権力誇示の場として扱われていた茶室を、総合プロデュース。そうすることで、わびさびの美意識を確立した。
室内をあえて薄暗くし、掛け軸や一輪の花が美しく浮かび上がるよう計算した。
このような文化をプロデュースする姿勢は、立木さんの活動方針に、大きな影響を与えている。
「私はお茶の世界に詳しくはありません。体験をさせていただき、お茶の世界は全ての美のスタイルを空間を含めて丸ごとプロデュースされているように感じました。だけど、一人で全部をやるのは大変だと思います。アドバイスをしてくれる人や、異分野の人々とも交流して、茶の文化を形になさっているんじゃないかなって個人的には思うんですよ。私は日本画の世界にも、その手法を取り入れたいと思っているんです」。
立木さんはそうした考えのもと、日本画の復活を目指し、精力的な活動を続けている。
しかしその中で、心ない言葉に胸を痛めたこともあるという。
「“日本画なんか狭い”って言われたこともあります。でも日本画の本場は日本。こんなに素晴らしいものがあるのに、日本人でさえその魅力を知らずに、“小さなこと”と言ってしまう人もいる」。
「どう情報発信してどうプロデュースすれば、日本画の魅力を理解してもらえるのか。きっとお茶の世界にも『お茶はおいしいけどこれだけじゃ伝わらない。どんなふうにしたら伝わるかな』と考えた人がいたんだと思います。日本画も同じで、筆先のことだけでなく筆周りのことも考えて日本画をクリエイトしたいんです」。
“楽しいってなんだろう”ー立木さんが見つけた答え
立木さんは膝を叩きながら、目を輝かせて話を続けた。
「日本画を学びたい人がいれば、国内でも国外でもいくらでも教えたい。人に教えるのが好きなんだって気づいたんです。楽しいってなんだろうって考えたら、教えることだった。結局今までやっていたことだった。自分が分かっていなかったんですね」。

彼女が日本画を教え始めたのは19歳の頃。それは思いもよらない出会いから始まった。
「外で絵を描いていたら、全然知らないおじさんに声をかけられて。“絵画教室の先生やってみてよ”って」。
おもむろに広げられたスケッチブックの絵を見て、自分なりのアドバイスをしたところ、翌日から香住ヶ丘公民館のカルチャースクールで教えることになった。元々人と関わる練習の場として絵画教室を運営していたが、そこで出会った生徒さんとの縁にも、このアトリエは支えられている。
「現代アートで活動しているアーティストさんがいて、話を聞いたらバイリンガルで、留学経験もあって、日本画にも興味がある。“ここで講師をしてくれ!”ってすぐにその生徒さんにお願いしました(笑)お客さんにはインバウンドの方も多いので、今も講師として来てくれていて、本当に助かっています」。

最後に立木さんは、あることを私に教えてくれた。
「人生にはいい時もあれば悪い時もある。悪い時は、ほっといてもやってくる。だからこそ、いい時は全力で楽しまないともったいない。遊ばんとつまらんのですよ」。
人生は栄枯盛衰であり、人の命もまた儚い。だからこそ、今この瞬間を楽しみ、遊ぶことを忘れない。その考え方は、立木さんの生き方そのものを表しているようだった。
話を聞き終えて、強く印象に残ったのは、立木さんの「面白がる力」だ。心が動いた瞬間を見逃さず、面白いと感じたことはとことん観察し、探究する。
「なぜ?」「どうして?」「どうすれば?」—その問い一つひとつに丁寧に向き合い、自分なりの答えを見つけようとする。
そんな真っすぐな好奇心と探究心が、人を惹きつけ、一歩踏み出す勇気を与えているのだろう。
【日本画家 立木 美江】
HP:https://tachiki-yoshie.com/
Instagram:https://www.instagram.com/tachikiyoshie/
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