漆の世界の入り口。壊れてしまっても、また直せる―― 金継ぎ作家「漆と金継ぎ さらは」樋口麻耶

大切な器が壊れてしまったとき、あなたはどうしますか。

福岡県太宰府市で「漆と金継ぎ さらは」を営む樋口麻耶さん。漆に携わって25年になる。

「壊れてしまっても、また直せます」

そう話す樋口さんが迎えてくれたのは、移転して間もない工房。

扉を開けると、新しい木の香りがふわりと漂う。やわらかな日差しが差し込む工房には、器が並び、落ち着いた空気が流れていた。

樋口さんは穏やかな笑顔で話しながら、奥の作業部屋も案内してくれた。そこには、漆の道具が整然と並べられていた。

工房に通っている生徒さんたちの作品

壁際には、古い和箪笥をリメイクした漆の棚がある。そこに並ぶ器には、金や銀の細い線が控えめに光っていた。

まるで初めから描かれていた模様のように見える。

けれど、その線は器が一度壊れた跡だった。

割れたり欠けたりした器を漆でつなぎ、その継ぎ目を金や銀、時には色漆で仕上げる「金継ぎ」。

器を実際につないでいるのは、きらめく金や銀ではない。ウルシの木から採れる天然の樹液「漆」だ。

金継ぎの話を聞きに来たつもりだった。

けれど、話を聞くうちに、その奥にある「漆」の世界が少しずつ見えてきた。

「漆の奥が深すぎて、とにかく漆がすごい素材なんです」。

樋口さんが歩んできたのは、ずっと漆とともにある道だった。

「つくる」ことから、「なおす」ことへ

樋口さんは石川県の大学で漆芸を学び、大学院へ進学。展覧会への出品を重ねるなかで、東京のアートフェアに招かれ、作品が売れるようになった。

次の機会も決まり、作家としてこれからという頃だった。

東日本大震災をきっかけに「海外から見た日本はどんな国なんだろう」と考えるようになったという。

「伝統工芸を志す人間として、一度、日本を外から見てみたいと思ったんです」

高校生の頃から憧れていた青年海外協力隊に応募し、エジプトへ渡ることを決めた。

「漆以外の世界を見てみたかったんです」。

エジプトでは、伝統刺繍でポーチをつくり、若い人たちに教えることもあった。

「自分ができることで、人に喜んでもらえることが嬉しかったですね」。

その経験は、ものづくりを見る視点を少し変えた。

活動後、樋口さんが向かった先は京都の修復工房だった。

「ものを『つくる』のではなく、『直す』ことに興味が向くようになりました。漆器は直すことができる。改めて漆って本当に面白い素材だなと思って」。

京都では茶道具の修復に携わった。欠けた器、傷ついた器と向き合う日々。
修復を重ねるなかで、自分の中に一つの問いが生まれていく。

自分にできることで人に喜んでもらえることは何だろう。

「突き詰めて考えていったら、金継ぎだった。すごくシンプルでしょ?(笑)」

そう言って笑ったあと、こんな言葉が続いた。

「あまり難しく考えず、シンプルに行く。それが私のテーマです」

出産を機に、地元・福岡へ戻った。

福岡で漆を伝えていくことを考え、2018年、太宰府で独立。

それが、今の工房へとつながっている。

『ちょっとやってみて』から始まった金継ぎ

初めて金継ぎをしたのは、学生時代、アルバイト先で使われていたアンティークカップだった。

オーナーが大切に集めていた器の一つだったという。

「ちょっと金継ぎで修理してみてよ」。

そう頼まれ、「じゃあ、ちょっとやってみましょうか」と、軽い気持ちで引き受けた。

完成した器を見て、樋口さんはこう振り返る。

「普段使いの器もこうして直せるんだ、と少し驚きました」。

今振り返ると、その頃はまだ何も分かっていなかった、と笑う。

「漆芸を学んでいる人からすると、金継ぎは漆の世界の一部で、当時はそこまで重きを置いている人はいなかったように思います」。


そう話したあと、少し言葉を選ぶように続けた。

「金継ぎは、漆器を作るのとはまた別で、とても奥深くて。個人的には、哲学であり、アートのように感じています」。


同じ金継ぎでも、仕上がりも耐久性も、漆を扱う人によって変わる。

修復したあとの保存の仕方や使い方によって、その器がどれだけ長く使えるかも変わってくるという。

本漆を使った金継ぎは、完成までに時間がかかる。そこまで手間をかけて直したものなら、なおさら大切にしまっておきたくなる。

そう尋ねると、返ってきた答えは意外だった。

「使い方や注意するところはありますが、私はどんどん使ってほしいです。だって、壊れたらまた直せるから」。

一度直したら終わりではない。

「何度もやり直せるから、ずっと使えるんです。しかも仕上げの色を金にしたり、銀にしたり、色漆にしたり。少しずつ表情を変えて楽しむこともできるんですよ」。

そう言って、樋口さんは微笑んだ。

「漆って、すごく楽しいんです(笑)」

つなぎ目に好きな色を選べる楽しみがある金継ぎ

金継ぎの先にある、漆という世界

コロナ禍で金継ぎの依頼は一気に増えた。

家で過ごす時間が増え、器や暮らしの道具など、それまで当たり前に使っていたものを見つめ直す人が増えたからではないか、と樋口さんは話す。

「コロナも価値観を変えましたよね。当たり前が当たり前じゃなくなったというか」。

対面で人と会うことも、当たり前ではなくなった。

「日々の些細な営みこそが大事だったんだなと気づかされましたね」

今では北海道から九州まで全国から器が届く。なかでも多いのは、お子さんがつくった器や贈物としてもらった器だという。

「『大事な器を割ってしまったので直りますか』って。やりがいがありますし、やっぱり喜ばれますね」。

大切な器をもう一度使えるようにする。

指に装着して使う、漆専用の小さなパレット『爪盤』

「金継ぎで使う漆は、接着剤であり、塗料でもあり、硬化すれば酸やアルカリにも強い。それが自然の木からとれるんです。ものすごく可能性がある素材だと思っています」。

漆は、器をつなぐだけではない。古い漆器も、塗り直せばまた使えるようになる。

「骨董品屋さんにあるボロボロに剥げている漆器も、塗り直せば新品のようになるんですよ。それってすごいことだと思うんです」。

漆には「かぶれる」「高価」といったイメージを持つ人も少なくない。

けれど樋口さんは、それだけで終わってほしくないと話す。

「天然の素材だからこその強さがあって、何度も手を入れながら長く使い続けることができる。まずはその魅力を知ってほしいです」。

時間をかけるほど、長く付き合える

金継ぎには、いくつものやり方がある。

接着剤などを使えば、比較的短い時間で仕上げることもできる。一方、本漆を使う金継ぎは、完成まで早くても二か月ほどかかる。

漆は乾くのではなく、湿度や温度の中でゆっくりと固まっていく素材だ。

待つ時間もまた、本漆の金継ぎには欠かせない工程になる。

「金継ぎにもいろんなやり方があって、簡単にできると思っている人もいると思うんですよね。『なんでこんなに時間がかかるの?』って(笑)。今の時代と逆行してますよね」

それでも、樋口さんは時間をかけることに意味があると話す。

「時間をかけて丁寧に作られたものには、きちんと理由があって、長持ちすると思うんです。それに、想いを込めて作られたものは、その想いが使う人にも伝わって、その先も長く大事に愛される気がします」。

工房に通う生徒さんも、最初はその時間の長さに驚くという。だからこそ、長い時間をかけて出来上がったときの喜びは大きい。

湿度や温度を管理しながら、ゆっくりと器と向き合っていく

時間をかけて手を入れながら、長く付き合っていく。そんな考え方は、樋口さん自身の暮らしにも重なっていた。

「ミニマリストになりたいタイプです」と話す樋口さん。

それでも、4歳の頃にもらった熊本の小さな花手箱は、今も大切に持っている。

「可愛いですよね。手仕事だとわかるものが好きです」。

必要以上には持たない。けれど、本当に好きなものは、長く手元に置いておく。

そんな暮らし方が、言葉の端々から伝わってきた。

直すことで、ものと人の想いをつないでいく

ただ器を直しているだけではない。

そう感じたのが、被災地から救出された器の話を聞いたときだった。

添えられていた手紙には、こんな言葉が書かれていたという。

「壊れているものが直ることで、また立ち直れるんじゃないかと思ってる」。

器を修復することは、ものを直すことだけではない。

その器に重なった時間や、人の想いを受け取り、もう一度暮らしへ返していくことでもある。

金継ぎによって美しく蘇った、松が描かれた大皿

石川、京都、エジプト、太宰府。

「共通してるのは、歴史ある街ばかりなんですよね」

そう笑って、「古いものが好きなんです」と続けた。

新しいものより、時間を積み重ねてきたものに惹かれる。それは、壊れた器を直しながら長く使い続ける金継ぎの世界観にも通じる。

古いものには、誰かと過ごしてきた時間や、大切に受け継がれてきた想いが重なっている。

いくつもの場所を経ても、樋口さんは漆のもとへ戻ってきた。

「辞めたいと思ったことはないですね。少しだけ離れたことはあったけど、それでも漆に触れると、やっぱりこれしかないなと思って。天職だと思っています」。

入口の先に広がる、漆の世界

これからも、太宰府を拠点に漆の魅力を伝えていきたいという樋口さん。

「漆という言葉は知っていても『そもそも漆って何なの?』って、意外と知らない人も多いんです。高価だからとしまい込まずに、どんどん使ってもらって、もっと手に取ってもらいたいですね。壊れても、直せるんだから」。

金継ぎを知ってもらう。
そこから漆に興味を持つ。

そして何かを選ぶときに、「漆」という選択肢を思い出してもらう。

その小さなきっかけを、樋口さんは届けようとしている。

取材の最後に、もう一度、樋口さんの言葉を思い出した。

「壊れたって、また直せばいい。漆のよいところは、何度もやり直せるところです」

それは、器だけの話ではないのかもしれない。

壊れたものを捨てるのではなく、手をかけながら使い続ける。

傷は消えなくても、新しい景色になる


【漆と金継ぎ さらは】
HP:https://www.kintsugi-saraha.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/maya.kintsugi/

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この記事の執筆者

森林浴ファシリテーター、ライター。太宰府在住。
森を歩くこと、対話すること、チャレンジすることが好き。最後の晩餐はうなぎ。
「感覚を、ことばへ。」

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漆と金継ぎ さらは樋口麻耶
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金継ぎ作家・修復師。

金沢美術工芸大学大学院で漆芸を学び、作家活動を経て青年海外協力隊としてエジプトへ。帰国後は京都の修復工房で漆器の修復に携わり、現在は太宰府に「漆と金継ぎ さらは」の工房を構える。

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