ひのさと48 次の50年にむけたコミュニティ 「さとづくりプロジェクト」の挑戦と想い①

解体予定の団地から生まれた「ひのさと48」
福岡市と北九州市の中間に位置する宗像市。
そんな宗像市にある日の里団地は、50年ほど前に開発された九州最大級の団地だ。
住民の高齢化や建物の老朽化が進む中、解体予定だった48号棟は地域の生活利便施設『ひのさと48』としてリニューアルされた。
運営しているのは西部ガス株式会社と、東邦レオ株式会社。
今回は西部ガス株式会社の馬場さんにお話を聞くことができた。

ひのさと48を運営するメンバーは約10名。会社が違ったり、東京にいたり、ひのさと48以外の仕事もしながら運営している。
「基本は固定のメンバーは一緒なんですよ。会社の配置で異動があれば出る人・入る人はいるけど、そこに新たに誰かに呼ばれてついてきて」
101号室にある『ひのさとブリュワリー』では、クラフトビールの醸造・販売を行っている。
中心となるのはプロジェクトのメンバーだが、ビールの仕込みに参加する地元の方もいる。夏になると熱中症になりそうになりながらの過酷な作業だそう。だからこそ、参加した人々の絆は1日でどんどん深まっていく。

ひのさと48を作る人々
この日、ひのさとブリュワリーに立っていたのはCOPむなかた大島代表の久保さん。ひのさと48の運営メンバーでありながら、「離島と町を結ぶこと」をミッションとして、大島での地域づくりも行っている。

COPむなかた大島のメンバーは15名ほど。
「できる人ができる時に、できることをしながら継続させる」という理念のもと、ひのさと48の運営メンバーと同様、それぞれ別の仕事をしながら大島に集まって動いている。
COPむなかた大島のメンバーをひのさと48に呼んできたり、ひのさと48の人を大島に呼んだり。そんな行き来があることで、宗像の離島、大島の人たちとの交流も生まれているのだ。
ひのさと48と大島の繋がり
われわれが『ひのさと48』を訪れたのは12月初旬。
竹毬が揺れるアーチをくぐると、大きなバンブーツリーが出迎えてくれた。

材料となっているのは段竹(だんちく)と呼ばれる竹。段竹が増えると猪の住処となり、その猪が畑を荒らす。全国的に放置竹林は問題になっているが、大島も例外ではない。大島から運ばれてきた段竹は、ツリーの役目が終わると粉砕され、竹チップになる。その竹チップを肥料として畑に戻す。
「これをしたからと言って放置竹林の問題は解決しないけど、そういう背景がありますよっていうところを知ってもらいたい」そんな思いがバンブーツリーには込められていた。
広がる関係性
バンブーツリーの横には、カラフルでポップなバルコニーが目に入る。バルコニーのパネルは、ひのさと48のオープニング時にイベントを行い、地域のみなさんと色塗りをした。

駐車場に面した壁にあるのは、団地の4階ほどまであるクライミングウォール。これは中学校の総合学習の授業で出されたアイデアの1つ。クラウドファンディングで資金を集め、実際に設置されたものだ。後に高校の教科書にも載ったが、ここまで大きな話題になるのは想定外だったという。プロジェクトが一つ動くたびに、ひのさと48に関わる人の輪は広がっている。
次の50年に繋ぐ
当初は「地域の会話量を増やす」というキャッチコピーで運営していたというが、今後はどのような展望を考えているのだろうか。
「地域の会話量は、いま増やしています。次はそれを地域の方に繋げていくターンだと思っています。バトンタッチというか。ボランティアとかではなく、ちゃんとその人の商いとして繋げられるように、一旦まずは我々の方で商いを作っていかないといけないと思っていて。その中でのビールだったりとか…」
団地の一室で作られるビールには、そういう想いも詰まっていた。
すでに地域の方が主体で動いているものもある。オープンマイクの日だ。
第4日曜日には音楽の日が開催されており、音楽の日から派生したものがオープンマイクの日。音楽の日に毎回参加している方々が自主的に機材などを持ち込んで準備を行う。観客の中には隣の住人さんの姿も見られる。
ひのさと48はオープンから3年が経った。企業や自治体とはコラボレーションビールで関わりを深め、地域の方々とは親戚のような関係性を築いている。
人が人を呼び、日々変化しているひのさと48。50年後の姿はとても想像できないが、あたたかく力強さを感じる場所は、多くの人の手で引き継がれていくのだろう。
次の記事②ではブリュワリーについて深掘りします。