クリーニング屋という定点から 服を通して変わりゆく街と人を見る『cleaning amenity』

あなたの街に、何十年も続くお店はありますか?
街に馴染みきって、わざわざ眺めることはないかもしれないけど、「ずっとそこにある」ということは、「その中で働く人がずっといる」ということ。
『cleaning amenity(クリーニングアメニティ)』(以下アメニティ)は、筥崎宮の一之鳥居から北に歩いて約2分の場所にある。透明な自動ドアを覗けば、どこの街にもあるクリーニング屋の風景が広がっているが、表に設置された大きな布看板と白熊のイラストが唯一無二な雰囲気。奥にはハンガーに吊るされた洋服と機械がずらり。洗いから仕上げまでこの場所で対応されているのだろう。店内BGMはあいみょんだ。
店主は河原正幸(かわはら まさゆき)さん。父親からクリーニング屋という家業を受け継いだ2代目で、店は約60年も続いているのだそう。
「継がざるを得ない雰囲気というか、いずれはそうすべきかなと。小さいときから」
雰囲気をなんとなく汲み取っていたとしても、継ぐという決断はなかなかに大きなもの。日々の仕事にどのような想いを持って取り組んできたのだろう。
「何十年も続くお店」の内側で、技術と場所を受け継いだ正幸さんにお話を伺いました。
家業と言っても未経験からのスタート

正幸さんがクリーニングの仕事に携わったのは28~29歳ごろ。大学を卒業してすぐは製薬会社の営業職に就職し、5年ほど会社勤めをしていたそう。
「その当時はここが工場で、他に直営店が5~6店舗あったんです。姉と私と二人姉弟で、姉はもう会社に入ってたんで、いずれは私が継ぐべきかなと。そういう雰囲気もあったから。だからその前に社会勉強っていうか、サラリーマンの世界もね」
他の働き方を経験してみたいという気持ちも、とても自然なものだと思う。そうして自身の心が決まってから家業に入ったものの、クリーニングの仕事はまったくの未経験。実の父親から仕事を教えてもらうのはどうでしたか?
「あれこれ細かく教える人やなかったから、背中を見て学ぶというか。『あーこうするんか』って盗み見る感じ(笑)20年くらいは一緒に仕事したですね。父は仕事が趣味みたいな人やったから、80近くまでアイロン握ったりしてたんです」
そんなお父さんから学んだことは、洗い方次第で洋服の仕上がりが全く異なるというクリーニングの奥深さ。0からスタートした正幸さんは、お父さんの背中を見ながら少しずつ同じ深さまで入り込んでいった。
激動の時代、店を残すために変化する

正幸さんが家業に入ってまもなく、日本の経済はバブル崩壊によって大きく変化した。経済が変われば人の生活も変わる。衣食住に直結するクリーニング業にも影響があったそう。
「洋服もユニクロとかの低価格なものがどんどん出だして、それが一般的になってきて。失敗しても家で洗うみたいなことが多くなってきましたんで、クリーニングの需要自体がずっと下がりました」
5~6店舗あった直営店も減らし、この1店舗だけを残すことに。この場所だけは残したいと正幸さんもいろんなアイディアを出してこられた。
「古いやり方でやってたところを、チラシとかDMとか使って新しくして。その辺は父も寛容に認めて、ついてきてくれました。仕事のことで大きく喧嘩したとか、怒られたことはそんなにないですね。子どもの頃はよく𠮟られてましたけどね(笑)」
店のために、時代に合わせて新しいものを取り入れようとする正幸さんと、ちょっと寡黙で寛容に受け入れるお父さん。話を聞いているとお二人の雰囲気が伝わってくる。
アメニティという店名も正幸さんのアイディアだそう。
「昔は『カワハラクリーニング』でしてたんですけどね、当時はタウンページで店を調べるでしょう。だから、あいうえお順で一番上に来る『あ』とアルファベットの『A』で始まる名前にしたくて。それでamenity、快適っていう言葉を見つけたんです。だから名刺には『アメニティ(カワハラクリーニング)』って書いてる」
「『衣生活に快適を』っていうキャッチコピーまで僕が勝手に考えて(笑)今となってはネット検索で上に来るようなものが良いんだろうけど。タウンページももうすぐなくなるらしいですしね」。

顔が見える商売だから、一着一着に真心を込めて

クリーニング自体の需要が狭まり個人店は年々減少しているが、アメニティには個人店ならではの強みがぎゅっと詰まっている。
「うちはお客さんの顔が見える商売をしてる。伝票見たらどのお客さんの服かすぐわかるし、常連さんはブランドだけでもわかったりする。お客さんの好みがあるからですね」
「急ぎの要望とか、シミの要望とか、包装の仕方とか、細かいことにもできる限り応えたいと思ってます。お客さんが持ってきたマイバックを預かったりもしてて。こういう細かいことは大手さんだとなかなかできないと思うんです」
お客さんの要望を聞いて服を預かり、適した洗い方を見定め、きれいに仕上げる。各工程がカウンターのすぐ後ろで地続きに行われている安心感はたしかに大きい。私たちもまた、任せる人の顔が見えている。
「シミがきれいに取れたときは感謝してもらえてこっちも嬉しいし、それが一番励みになるんです。でも一生懸命やっても、取れそうで取れないシミもあるんで。お客さんに返すときに申し訳ない」
難しい要望に対しても、一着一着にとことん誠実に向き合うからこそ、正幸さんも一喜一憂するのだと思う。
「要望に応えて、約束を守ってお返しする。当たり前のことを当たり前にやるっていうのが大切」。
正幸さんの“好き”が散りばめられた店内
店内を見ていると、一つの貼り紙を発見。

正幸さん直筆 “店主のひとりごと”
実は正幸さん、トレイルランという山道をマラソンする競技が趣味。お店を日曜休みにしたことで大会に参加できるようになったそう。スポーツブラントのTシャツやサングラス、すっと伸びた姿勢に納得です。
また、店内BGMになっているあいみょんは、ライブに参戦するほど大ファンなのだそう。
日々Apple musicとrajikoを駆使して最新の音楽情報を仕入れている音楽好きだ。老眼で文字が見えないと笑いながら、サングラスの隙間を覗いてスマホを操作する姿がチャーミング。
好きなものに打ち込む時間を作ったり、新しい情報を取り入れたり。
お父さんからの店を受け継ぎながらも、正幸さんは正幸さんのペースで商売を続けている。
人生のすぐそばにある仕事

幼少期から箱崎の街で過ごしてきた正幸さんは、この街の変化をその目で見てきた。
「私が子どもの頃なんか、映画館が2つ、ボーリング場も2つぐらいあって大賑わい。西銀の前の通りが一番歩行者が買い物する場所だった。魚屋さんに八百屋さん…買い物はあの辺で全部揃うくらい。年末にはあちこちでしめ縄売ったりしてたんですけどね」
時間が流れ、街が変わっていくと同時に、アメニティに訪れるお客さんたちも変わっていく。
「お客さんも入れ替わりがありますね。会社員のときは毎週ワイシャツとズボンを出されてたお客さんが、定年して出すものがなくなってピタッと来なくなったり。でもその方のご家族や子どもさんが続けて出しに来てくれたりもします」
お客さんが持ってきた服から、その人の人生の時間が流れていることを感じる。家の中や街の中で世代が変わっていくことに気がつく。クリーニングの仕事は私が思っていたよりもずっと、お客さんの人生と距離が近いものなのかもしれない。
「ずっと地域のお客さんがついてきてくださってるので、これからもその間で続いていけたら良いなと思いますね」
今日も一着一着と誠実に向き合う正幸さんは、アメニティという変わらない場所から、変わっていく街と人を見ている。クリーニングという仕事を通して。
アメニティ(カワハラクリーニング)
福岡市東区箱崎1-24-14
Tel/Fax:092-641-0128
Mail:kawahara.masayuki@cream.plala.or.jp
営業時間:月曜~土曜 8:00~19:30 / 祝祭日10:00~17:00
※日曜は店休日ホームページ:https://amenity-cl.com/
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ninatte事務所
ninatte九州の運営事務局です。銭湯跡地、旧梅乃湯を拠点に活動中♨事務局ライター数名で日々記事を更新しています。
住所:福岡市東区箱崎1-24-14
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Mail:kawahara.masayuki@cream.plala.or.jp
営業時間:月曜~土曜 8:00~19:30 / 祝祭日10:00~17:00
※日曜は店休日ホームページ:https://amenity-cl.com/