心のままに海を越え 私が選んだ働き方 ウクレレ製作工房 四弦舎



仕事や部活、生活スタイルなど、なにか1つを選び、その道をある程度進んだとき、ふと「このままでいいのだろうか」と思う人は案外多いはず。
福岡県宗像市の日の里という街には『ひのさと48』という地域再生の場がある。昔ながらの団地が丸々1棟リノベーションされていて、その1室1室をさまざまな事業主が利用している。

『ウクレレ製作工房 四弦舎』のツチザワテツオさんも、その団地の1室に拠点を構える一人だ。
楽器店への卸しから個人オーダーまで、一人黙々とウクレレを作るその技術は、ハワイで学んできたものなのだそう。
なぜウクレレ製作を始めようと思ったのか。その経緯を聞いていくと、ハワイに渡った理由はウクレレとは全く関係のないものだった。ではなぜ海外に…?
「逃げ出したんです。もう日本にいたくないっていう(笑)」
どう生活し、どう働くか。自分の中の違和感や衝動を素直に受け止め、行動してきたツチザワさんの、これまでの歩みを聞いた。
積み上げたものか、新しい生活か
ツチザワさんがハワイに渡ったのは40歳前後のこと。日本にいた頃は会社員を経験したあと、会社経営もされていたそう。
会社の立ち上げ当初は一人で黙々と努力を重ね、次第に従業員も雇えるように。事業の幅はどんどん拡大し、実務がツチザワさんの手から離れだした頃、漠然と働くことに対する違和感を覚えはじめたという。
「自分ではなく人が動いてお金が入ってきて、自分のやることがなくなってきたからでしょうね。『このままでいいのかな』『お金ってなんだろう』っていう変なことを、どんどん考えてしまうんですね」
そのとき頭の中に浮かんだのは、以前仕事の研修で訪れたアメリカのこと。
「『アメリカでなんかやってみたいな』って思い始めたのが、病んできたスタートですね(笑)」
アメリカに行ってみたい。でも経営者として大きな責任がある…。会社経営から完全に手を引くことを決心したのは、とりあえず1度アメリカに行こうと決めた半年間の語学留学のあとだった。
「半年アメリカで過ごしていると、やっぱりここに住みたいって思ったんです。会社の代表取締役も保証人も降りて、全部0にして、次は2年間アメリカに留学しました」
2年が終われば、またこれからのことを考えなければならない。しかし、まだ日本で暮らすという気持ちにはなれなかったという。
「まだだめなんですよね、気持ちが日本にないんです。なんて言うんでしょう…まだ自信満々なんですよ、自分が会社を起こしたっていう。だから次は海外で働きたいって思ったんです」
アメリカで過ごすほど、まだ日本に戻りたくないという気持ちがはっきりする。そこから6年間、今度はアメリカで働きながら暮らすことを決めた。
働いて、暮らして、見えたもの

四弦舎のウクレレのトレードマーク。SNSで知り合った画家さんの作品。
アメリカで1年ほど働いたころ、ハワイ転勤の話が上がり立候補。家族で暮らす環境として、ハワイはとてもいい場所だった。
果物や野菜を山のように積んだトラックが公園に来て買い物をすること。天気がいい日は海に行きたいと言って会社を休む人がいること。アメリカ本土にいた頃は、命がけで国境を越えてきたメキシコ人がものすごく仕事熱心だったが、ハワイではサボってばかりの人もいること。
異なるバックグラウンドを持った人と出会い、その価値観に驚きながらも、「本当はそれでいいんだ」と、どこか腑に落ちるような感覚があったそう。
「彼らと出会って、やっぱり人間そっちでいいんだよな…と。自分よりすごい人もいっぱいいて、井の中の蛙だったなって思えてきて。そしたらだんだんとアメリカじゃなくてもいいかなって思えるようになったんです」
ビザの就労期限が切れるタイミングが子どもの小学校進学と重なったこともあり、このタイミングで日本に帰って暮らすことを決めた。
奥さまの一言ではじめたウクレレ作り

板を曲げ、ウクレレの側面を形作っている様子。
日本に帰ることを決めたものの、帰った後はまた無職。「ウクレレでも作ってみたら?」と言ってくれたのは奥さまだったそう。
「最初は『そんなんで食っていけるわけないだろ』って思いました(笑)でも試してみるのもいいかなと思って、教室に習いに行って」
「若いころはバンドをしていたので、ギターは好きだけど正直ウクレレはあんまり…(笑)でもハワイは街を歩いているだけでウクレレの音が聞こえてくるし、プロでもないそのへんのおじさんがめちゃくちゃうまいんですよ。近所の大きな公園ではウクレレのイベントもあって。そういうのを聞いていると、かっこいいな…って思うようになってました」
1年ほど教室に通っていると、ウクレレを作っていく工程が意外としっくりくるように。
「一人で黙々とやるのが楽しかった。会社を立ち上げたときも、会社を大きくしようと一人で黙々と頑張ってたときが楽しかったんですよ」
人を動かすより自分でやりたい。奥さまの何気ない一言からはじまったウクレレ製作で、自分にあった働き方を再認識できたような。
そうは言っても、帰国後ウクレレで生活していくことに不安はありませんでしたか?
「不安もありましたけど、失敗のことはあまり考えないというか。なんとかなるだろうって思える性格なんだと思います(笑)」
どこで作り、どう売るか

四弦舎の工房
日本へ帰国後は奥さまの直感で津屋崎へ移住。ここでどうやってウクレレを作っていくか考えていたとき、奇跡のように出会い手助けしてくれたのは、津屋崎にある木工房『テノ森』さん。
「近所のカフェで『ウクレレを作ろうと思ってる』って話をしたら、店主の方が近所に木工房がオープンしたことを教えてくれて。すごい偶然だと思って次の日お会いしに行ったんです。そしたら『ぜひここを使ってください』と言ってくださって。テノ森さんがいなかったらどうなってただろうと思います」
一番難しい販売方法は、思い切ってコンサルタントに相談。ヤフーオークションから販売をはじめ、徐々に公式ホームページからの購入を増やしていった。だんだんと個人オーダーも頂けるようになり、楽器店から製作の依頼もきたそう。
「最初は、自分が作ったものが楽器店に並ぶものなのかわからなくて、怖くて行けなかったんです(笑)今も僕より上手な人は本当にたくさんいます。それでも『ツチザワさんの楽器を置きたい』と言ってくださる楽器屋さんがいて、僕のウクレレを喜んでくれるお客さんがいて。だんだんと自信につながっていきました」
自信とともに少しずつ取扱店を増やしていった四弦舎のウクレレ。今では東京や大阪の老舗楽器店にもツチザワさんの作ったウクレレが並んでいる。
作り手としてまだまだ続く道

ウクレレの音色は木材の種類、板の厚さ、中の構造などで繊細に変化する。角のない滑らかな輪郭には作り手の技術が表れ、ヘッドやサウンドホールの形、装飾によって個性が光る。日本に帰国して10年以上ウクレレを作り続けているツチザワさんでも、まだまだ勉強の毎日だそう。
「夏は湿気が多くて冬は乾燥する日本の気候は、楽器にはとても不向きです。それを考慮してものづくりをする日本の技術はやっぱりすごい。私も一人で作っていますが、良い音が出ないときは泣きそうになるほどきついです。だから年下の方にでも『教えてください』と頼ります。海外で働いたことで、それも苦じゃなくなりました。何よりそれでいい音が出たときは本当に嬉しいんです」
きっと100%納得がいくものは作れないだろうと話すツチザワさんに、理想のウクレレを尋ねてみた。
「理想は、音色で『ツチザワが作ったな』っていうのがわかるようにしたい。弦を上から下まで弾いたときにわかってもらえるようになれたら嬉しいかな」
最後に、四弦舎としての今後の目標は?
「アメリカの楽器店に置いてもらいたいっていうのは今の夢としてあります。そしたらまたアメリカにもちょこちょこ行ける(笑)これでアメリカいけるぞって納得のいくものができたら、そういう風にしたいですね」
ウクレレ製作工房 四弦舎
所在地:福岡県宗像市日の里5丁目3-98 ひのさと48-505
note:https://note.com/yongensyas/
Instagram:@handmadeukulele(https://www.instagram.com/handmadeukulele/)
※製作依頼等はnoteからお問い合わせください。









