250年の歴史に描く 「筑前津屋崎人形巧房」 8代目人形師 原田翔平




実家の仏壇に手を合わせるとき、床の間に置いてある土人形を目にすると
ふるさとに帰ってきたと思う。
桃の節句やお正月、人生の節目に祖父母が準備し飾ってくれたものは
「大切なもの」だと子ども心に思っていた。
福津市の津屋崎千軒(つやざきせんげん)地区で250年続く「筑前津屋崎人形巧房」は、そんな土人形である「津屋崎人形」を作っている唯一の工房だ。
古博多人形の流れをくみ、二枚型を合わせて作る手押し製法でひとつひとつが手作業で作られる。豊かな色彩に素朴な土のぬくもりを感じる人形は、福岡に暮らしていれば一度は目にしたことがあるだろう。土型には縁起物として愛されて来たモマ笛(江戸時代)や、おしゃぶり人形として始まったごん太(明治時代)など、1000点以上もあり今も大切に守られている。
昔からある津屋崎人形がいまも心に響くのは「新しいデザイン」のためだろうか。
人形師である8代目原田翔平さんに聞いてみた。
250年の歴史に描いていく

「新しいデザインと言われますが、実は新しいものはそんなに作っていないんですよ。それなのに明治時代のものでも最近のデザインですかといわれます。250年やっているので型がたくさんあるからかもしれませんね。いまどきの雑貨に混じって置かれてもしっくりくるようで」
先代が描いたものは武者武将のようなキリっとした顔立ちだが、いまは穏やかな表情のものであったりと、同じ型でも代々の描き方で変わるという。
1軒だけになった工房で

モマ笛に白塗りをしていく母・千恵さん
「ここは原田家で始まり、血縁関係だけでやっているのがひとつの特徴なんです」と千恵さんがこれまでの歩みを話してくれた。
「津屋崎人形は原田家の兄弟で分かれていて、最盛期には工房が4軒あったのですが今はここだけになりました。続けていくのは大変ですもんね。私たちは息子が定年退職してから家業を継ぐのかなと思っていました。元々は公務員だったのですが、辞めるといったときは反対しましたね」。

モマ笛に筑前津屋崎人形巧房の印が入る
時代の流れで工房が1軒だけになったとき「250年の伝統を絶やしてはいけない」とプロダクトデザイナーさんが入った。親身になってもらいながら新商品開発や販路開拓を行うことに。
翔平さんはまだ働いていたがギフトショーの催事に参加することをきっかけに、家業を手伝うようになったそう。大量生産していない芸術品、郷土玩具に若い人が目を向け始めたときだった。

新商品の「津屋崎ピンズ」は人形と同じ製法で作られている
「購買層がガラッと変わりましたね。ご年配の女性がお孫さんのためにと来られたり、定年退職して趣味で集めている方くらいだったんです。最近は小中学生の男の子が買いにくることもあるんですよ。今まではなかったことなので驚いています」
大手ブランドからコラボを頼まれるようにもなり、それと同時につくり手以外の業務も増えてきた。
「昔のやり方しか分からないので私たちだけでは情報発信、ネット通販などはできませんでした。それを息子がやってくれて」。

3人でちょうどいい広さの部屋
津屋崎人形を手に取る人たちの声を聞くようになった翔平さんは
「うちの人形が若い人に受けるとは思わなかったですね」と新たな可能性を感じたのだそう。
忙しい時期は家族で協力し合ってきた。津屋崎人形のつくり手は父である7代目原田誠さん、8代目翔平さん、そして母である千恵さんの3人だけとなり弟子をとることも考えていない。
「身内だけでやっているというスタイルが面白いと思ってくれる方が、うちのお客さんなのでしょうね」
3人しかいないので、何も言わなくても制作の段取りが分かるのだそう。家族で守り続けてきたからこそのきずなが感じられる。
昔から変わらないつくり手の思いが人形となり、手に渡る人への信頼につながっているのかもしれない。
「東京のような街中のお店で、うちの人形を見かけた方が工房まで訪ねてきてくれるんです。もう里には家はないけれど、生まれ育ったふるさとを自分の子どもに見せたくなったと」
「小学生の頃、絵付け体験をしたという大人がモマ笛を見て『久しぶりに地元の友達に電話してみます』と、ふるさとを思い出すきっかけになっているようで」
遠く離れた街でも、津屋崎人形を通してふるさとを思い出す人たちがいる。
人形が人形というものでなくなるとき

やわらかい表情の干支が並ぶ
生活様式が変わり畳や床の間はないけれど、玄関や洋間にポンと置ける人形があるのはうれしい。マンション暮らしの筆者自身も、玄関には干支の土人形を置いている。
「ただいま」と帰ってきたときに、土人形を見ると安心した気持ちになるのはなぜだろう。それは津屋崎人形が、ふるさとの記憶をたどるきっかけになっているからなのかもしれない。
「最初は人形だけど、だんだん人形ではなくなってくるみたいなんですよね」
翔平さんが笑いながら答えてくれたことがしっくりとくる。
ふるさとへの思いが形になった土人形、秋になり師走に近づいてきた。
新しい年も津屋崎人形とともにふるさとを飾ろう。

筑前津屋崎人形巧房
住所:福岡県福津市津屋崎3-14-3
この記事の執筆者
佐賀県武雄市出身♨️自然と人とのつながりや恵みを伝えることをライフワークにしています。
所在地:福岡県福津市津屋崎3-14-3




