「こんなの見たことない!」人に驚きと喜びを届け続ける。博多人形師・アーティスト 西山陽一

細やかに表現された肌の質感、重なり合う着物の造形。その迫力に、一瞬言葉を失う。

目の前には、今年の山笠で使われた博多人形が並んでいる。
ここは、博多人形師・西山陽一さんの、自宅兼工房の作業部屋だ。
博多人形とは、土で形を作り、焼き上げた後に繊細な彩色を施す、福岡を代表する伝統工芸のひとつ。人の姿をかたどった美しい造形や、細やかな表現で長く受け継がれてきた。
西山さんは、その伝統技術を受け継ぐ博多人形師であり、博多祇園山笠の人形制作にも携わる職人だ。同時に、果物をモチーフにした作品など、伝統の枠を越えた表現にも挑戦するアーティストでもある。

玄関には、今にも駆け出しそうなほど勇壮な馬の人形。
これほど荘厳で緻密な作品が、一人の職人の手から生み出されている。
けれど、工房で出会った西山さんは、作品から受ける印象とは違い、柔らかな雰囲気の持ち主だった。
朗らかに笑う西山さんが語ってくれたのは、伝統の技を土台に、これまでにない発想を形にしていくことの大切さ。そして、その言葉の根底にあったのは、「自分が作ったもので、人が喜んでくれること」を大事にしたいという、幼い頃から変わらない想いだった。
「作ったもので、人が喜んでくれる」それが原点だった
西山さんのものづくりの原点は、幼少期にある。
子どもの頃、話すことにコンプレックスがあった中で、自分を表現できたのが、絵を描いたり、ものを作ったりする時間だった。
「子どもの頃、足が速いとか、裁縫が好きとか、そういうのはあったけど、あまり褒められることはないじゃないですか。でも、絵を描いたり、何かを作ったりすると、みんなが喜んでくれたんですよね。『お前が作るのってなんかすごいね』って」。
自分が作ったものを見た人が驚く。
誰かに「すごい」と言ってもらえる。
そして、笑顔になる。
その瞬間が、何よりも嬉しかった。

小学4年生の頃、母からかけられた何気ない一言が、西山さんが自分の進む方向を意識するきっかけになった。
「陽一の賞状は絵のものばかりだね 」。
学習面では思うようにいかないこともあった一方で、絵や工作では賞をもらうことが多かった。
その言葉をきっかけに、西山さんは「自分にはこの道しかない」と感じるようになったという。
高校時代、そんな西山さんが出会ったのが彫刻だった。先輩が制作している姿を見て興味を持ち、自分も挑戦してみる。すると、作品で賞を受ける経験をした。
「自分の才能をひとつ見つけた!という感覚でした」。
それまで絵を描いていたが、彫刻との出会いで、新しい世界が広がっていく。
「自分には平面的な表現よりも、立体的な方が向いていたんでしょうね」。
彫刻を始めたことで、ものを見る視点も変わったという。
「ものの見方が一気に変わりました。360度の立体カメラで、くるくる回るような感じで、ものを見るようになったんです」。
大学では彫刻を専攻した。しかし、その後の進路については迷いもあった。
「彫刻家ってどうやってなるんだろうって(笑)。誰かの師事を仰ぎたいとも思えなくて」。

そんな学生時代に紹介されたアルバイトは、テーマパークの花自動車に使われる造形物を制作するものだった。
その経験は、西山さんに新たな気づきを与えた。
「自分が携わったものが実際に使われているのを見て、社会に役立ったという実感があったんです。こういう世界もいいなと思いました」。
ものを作ること。そして、それによって誰かの心が動くこと。
その喜びは、幼い頃に「作ったもので人が喜んでくれた」あの日の感覚と、どこか重なっていたのかもしれない。
「博多人形」という新しい表現との出会い

振り返れば、西山さんの歩みは、最初から明確な答えがあったわけではなかった。
「いろいろやりたいことをやっていたら、自然とたどり着いた感じですね。全部、流れに任せてきた人生なんで(笑)」
そう笑う西山さんの言葉通り、その道のりにはいくつもの出会いと転機があった。
アルバイト先は就職につながったが、景気の影響もあり、再び進路を考えることになった。
そんな時に知ったのが、博多人形の体験講座だった。
講座の一環で見学して初めて、博多人形の作品を間近で見た。印象に残ったのは、能物の「羽衣」だったという。
「すごくきれいな色で、造形的な美しさがあって。『こういう世界もいいな』と思いましたね」。
さらに魅力を感じたのは、博多人形が一つの技法だけで成り立っているものではないことだった。
粘土による造形、焼成、彩色。彫刻だけでなく、さまざまな技術が一つの作品の中に込められている。それは、西山さんが学んできた表現の可能性を、さらに広げるものだった。
博多人形師のもとで修業を重ね、その後独立。伝統的な美人ものや能ものなど、受け継がれてきた技術を学びながら、作品を生み出す日々が始まった。やがて伝統工芸士にも認定され、博多人形師として着実に歩みを重ねていった。
しかし、その歩みの中で、西山さんの中には少しずつ葛藤が生まれていた。
葛藤の先に生まれた新しい表現
「博多人形を作っていて、このままじゃもう自分は伸びないなと思った時が一番苦しかったかな」。
博多人形師として10年ほど経験を積んだ頃、西山さんの中に、ある迷いが生まれていた。
技術を磨き、作品を作る日々。それは職人として大切な時間だった。しかし、その一方で、このままでいいのだろうか、という思いも膨らんでいった。
「世の中の役に立っている実感があまりなくて。このままじゃいけない、何か新しいことをしないといけないと思っていました」。
そんな矢先、世界を大きく変えたのがコロナ禍だった。 活動が制限される中で、西山さんは改めて自分自身と向き合う時間を持つことになる。
「過去を振り返りながら、これから自分はどうしたいんだろう、ということを突き詰めて考えるよい機会になったと思います」。
そこでたどり着いたのが、身近な果物というモチーフに、縁起物としての意味を重ね合わせる、新しい表現「ありがた実」シリーズ。
西山さんが最初に選んだのは、フルーツの中でも大好きという桃だった。
「桃って、形も可愛いですよね」。
完成した作品には、不老長寿や招福の願いを込めて「不老長寿」ならぬ「不老桃寿」という名前を付けた。

それは、博多人形師として培ってきた技術を土台に、「アーティスト西山陽一」として表現の幅を広げていく、新たな挑戦でもあった。
「それしかなかった」選び続けてきた挑戦はこれからも
現在、西山さんは「ありがた実」シリーズを始めとして、さまざまな表現に挑戦している。博多人形だけにとどまらない彼の活動は、一見すると、伝統から離れているように見えるかもしれない。しかし、西山さんの根底にあるものは変わっていない。
人を驚かせたい。
喜んでもらいたい。
その想いは、幼少期から形を変えながらも、今なお続いている。
「博多人形師をいつまで続けるかは分からない。けれど、アーティスト西山陽一としては、きっと一生作り続けていく」。
今後、作ってみたい作品について尋ねると、しばらく考えたあと、「時代を反映したものを作ってみたいかな」と話してくれた。
「自分の作品を残したい」というよりも、純粋に「面白そう」「やってみたい」と思ったことに向き合い、その先で誰かの心が動く。その積み重ねが、西山さんのものづくりなのかもしれない。

取材の最後、改めてその山笠人形と向き合った。冒頭で感じた圧倒的な迫力は、西山さんの想いを聞いた今、少し違って見えていた。
昨年とは違う表情を見せるにはどうすればいいか。
どうすればみんなが喜んでくれるか。
そう考え抜いて作られたのであろう細部から、彼の情熱が伝わってきて、ただただ「すごい」と立ち尽くすことしかできなかった。
幼い頃、「自分にはものづくりしかない」と感じていた少年が、今では多くの人の心を動かす作品を生み出している。けれど、西山さん自身は、特別な場所にたどり着いたという感覚ではないのかもしれない。
「それしかなかった」。
その言葉を何度も繰り返す姿から感じたのは、才能だけではなく、ものを作ることしかないと思いながら、それでも自分なりの表現を探し続けてきた強さだった。

西山陽一さんが届けたいのは、美しく生み出された作品そのものだけではない。
その先で生まれる、誰かの心が動く瞬間だ。
彼の情熱は表現の形を変えながら、これからも力強く続いていく。
【西山陽一】
HP:https://www.artist-yoichi.com/
Instagram:https://www.instagram.com/yoichi.n_art/
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