「旅衣」が架け橋に。世界と繋がる縁とトキメキ 久留米絣ブランド『IKI LUCA』ディレクター / 小倉 知子

“久留米絣(くるめかすり)って、少し古風で、おばあちゃんが着ているイメージ”。
正直、小倉さんやIKI LUCAのアイテムに出会う前の私はそう思っていた。
久留米に縁を持つ人でも、絣を身近に感じてきた人は少ないのではないだろうか。
220年以上の歴史をもち、日本三大絣のひとつでもある久留米絣は、江戸時代の後期、当時12、13歳の井上 伝という1人の女の子によって作り出された織物だ。
夏は涼しく、冬は暖かい機能性。そして丈夫ながらも、使っていくうちに風合いが出てくる特徴があり、天然素材ならではの良さを持っている。
「旅先でも思いっきり着れてテンション上がる服を、旅する絣で作れたらいいな」。

弾ける笑顔で話すのは、久留米絣ブランド『IKI LUCA』の小倉知子さん。ディレクターとして、ブランディング、商品のデザインから販売、イベントまでを手がけている。
「久留米絣は未知の領域だった」という彼女は、世界中を飛び回った末に、今の事業に辿り着いたのだそう。
“旅を快適にしてくれる、久留米絣の可能性”。
多忙な日々の中で気付いたその魅力を、日本中、世界中に広げようと奮闘している、小倉さんの姿を見つめてみた。
仕事に追われる多忙な毎日と、余白で思い出した故郷久留米

自身のブランドIKI LUCAを立ち上げるまでは、ずっと金融業界で働いていた小倉さん。
最初の銀行員生活は、仕事以外のことに目を向けるゆとりがない日々だったが、そこに転機が訪れる。勤務拠点が日本から海外へと移ったのだ。
そうしてシンガポールで働くことになり、刺激的な海外生活にも馴染んできた頃。
彼女は、ある変化を感じるようになった。
それは、自分以外のことにもエネルギーを向ける余力だった。その余白で小倉さんがふと気になったのは、地元久留米のこと。
帰省は年に数回だけしかできていなかった。だからこそ、少しずつ寂れていく街の様子が顕著に映っていたという。
「いつか自分も、地元に貢献できるようなことができれば」。
学生の頃にぼんやりと考えていたその想いが、大人になった小倉さんの気持ちに小さな灯をともす。

そんな中、ある日目にしたのは、地元久留米を盛り上げようとするクラウドファンディングの記事。
内容はもちろんだが、小倉さんの興味を掻き立てたのは、”久留米にも面白いことをしている人がいる”ということだった。
会って話を聞きたいーー。
そう考えた彼女は、そのクラウドファンディングに挑戦した女性に、Facebookからメッセージを送った。
それからは、帰省のたびにキーマンたちを訪ね歩いた。そのうちに、小倉さんの中に芽生えたもの。
それは、「海外にいる自分だからこそ、久留米と海外の架け橋になれるかもしれん」という、小さな想いだった。
マダムの一言で生まれた「旅する絣」
絣の良さを痛感し、スカートを愛用するようになった頃。
そのタイミングで、IKI LUCA立ち上げの大きな一歩になる、とある出来事が起こる。
それは、彼女が南米パタゴニアへ旅行に行った時のことだ。
旅を満喫していたある日、NYからきたファミリーのマダムから声を掛けられた。
「あなた、毎日その赤いスカートを履いているわね。素敵なスカート。触ってもいい?どこで買えるの?」
八女で買った、久留米絣の赤いスカート。
今でこそ、ネットショップで購入できるが、当時はオンラインなどで簡単に購入ができるわけではなかった。まして、南米で出会った海外の方に、「福岡の八女で買えますよ!」なんて、伝わるはずがない。
そのマダムからの一言で、小倉さんの頭の中にひとつのアイデアが浮かび上がる。
「旅する絣」
今まで頭の中でぼんやりと考えていた、久留米と世界の架け橋になりたいということ。
そして、地元久留米を盛り上げたいということ。
「旅する絣」は、今まで考えていた、この2つの想いを形にしてくれるかもしれないーー。
「海外の方が欲しいと思った時に購入できる仕組み」を整え、誰でも商品が購入できれば、久留米絣が世界に広がるかもしれないーー。
丁度仕事のプロジェクトがひと段落して、日本に帰国していたタイミング。
正直、金融の仕事をしながらネクストキャリアについて考える余裕がなかった小倉さんにとって、今後の人生を見つめ直す絶好の機会だった。
「この先も金融業界で働くのかな?」
「せっかくなら大好きな久留米のために何かしたい」
「金融業界は自分じゃなくても仕事が回る」
「でも久留米は?」
「この原風景を見てきた人でないと持てない想いや発想を活かしたい」
「自分だからこそできることをしたい」
そう決意した小倉さんは、「旅する絣」の実現に向けて動き出した。
久留米絣が旅先のメイン服になるように

「旅する絣」についての案を出す時、アイデアのヒントになったのは、旅の経験と小倉さんが持っていた2着の久留米絣アイテムだった。
心地よいのは分かっているけれど、もう少し丈が長かったら。
ここのシルエットが自分好みだったら。
そうすれば、旅先でもメインの服として着るかもしれない。
「いっそのこと、自分が旅先でワクワクできるような服を作ろうと思ったんです」。
しかし、まだまだ久留米絣についての知識が浅い。
まずは、久留米絣の職人さんに会って話を聞く、実際に作られているところを見学するところからスタートした。
知り合いから紹介してもらい、久留米絣織元の下川織物さんに伺った。
パタゴニアで褒められた赤いスカートを履いて。
下川織物の方に、マダムに褒められたこと、自分が履きたいと思う形のアイテムを作りたいと思っていることを話した。
すると、
「その赤いスカートの生地、うちのだよ」。
その言葉を聞いて、思わず赤い生地を購入した。
「試作できる準備とかもできていなかったし、何メートルかも忘れたけれど、スカートを作れるくらいの長さの生地を買ったんですよね」。
もちろん、小倉さんには服飾の経験もない。服作りに携わった経験もない。
自分が履きたいものをイメージをしながら、素人ながらも、パズルのように組み合わせながらスカート作りに勤しんだ。
それでも、自分の頭の中のイメージを、100%反映させることは難しかった。
思い通りの商品を作るには、デザインを服の設計図である型紙に起こしてくれるパタンナーが必要不可欠。
「これを商品にするには、パタンナーさんを探さなきゃ」。
そう思っていた時、タイミングよく、かつての同僚が知り合いのパタンナーを紹介してくれた。まさに、久留米絣が繋いでくれた”運命の縁”だった。
IKI LUCAのスタートとコロナ禍

その後は東京でパタンナーと出会い、いよいよブランドを立ち上げる準備が整った。
しかし、IKI LUCAはとんとん拍子に進んでいったわけではない。
立ち上げに伴い東京・久留米の2拠点生活を始めた矢先、コロナウイルスが蔓延するようになったのだ。小倉さんは、そのまま久留米で生活をすることになる。
多忙だった織元や身近な人々の仕事が、ほとんどストップするような状況になった。
もちろん、IKI LUCAブランドの立ち上げ準備も進まなかった。
しかし、今思うとスロースタートになったことで、IKI LUCAにとっては追い風になったという。
織元の下川織物さんや絣に関係する方々、縫製工場など、周りの方に時間ができたことで、ゆっくり話しをする時間ができたからだ。
「たわいも無い話が後々に繋がったり、面白いことをしている人と話す機会ができた。道草をしながらゆっくりと進めた感じがあって。それがすごくよかったんですよね」。
今のIKI LUCAには、こうした何気ない会話から生まれたちょっとしたアイデアが散りばめられている。
そして、IKI LUCAで作る最初の商品は何にするか。
考えた末、小倉さんが1番初めに手掛けたのは、赤いスカートとワンピースだった。
立ち上げが慎重になった分、織元や縫製工場と深く対話する時間が生まれた。
だからこそ完成できたのが、あのマダムとの出会いの原点でもある『赤いスカート』と、大好きな海辺で水着の上からサッと羽織れる『エレガントなワンピース』。


IKI LUCAのアイテムは旅先のレジャーでも、お買い物でも、特別な日にも、何気ない日常でも使いやすい。
それは、機能性だけでなく、ワクワクすることが大好きな小倉さんのちょっとしたこだわりが施されているからだ。
「旅は、まとう衣でずっと楽しくなる」
小倉さんが旅する絣に込めた想いが形になっていく。
「どういきるか」という自身への問いを体現し名付けた「IKI LUCA」。
ここから本格的に IKI LUCAが動き出す。
POP UPで学んだ自分の限界と夢への挑戦
ブランドを立ち上げてから最初の2年、小倉さんはPOP UPの開催に勤しんだ。
まずは、ひたすら開催場所を探す。
場所が決まれば、テーマ決めやコラボ相手への依頼、荷造り、発送、設営、イベント接客。1つのPOP UPが終わったら、次の開催の準備。
結果、福岡、東京、倉敷、京都、徳島などの、多くの地域で開催することができたという。
たった1人で、全てをこなした。スケジュールはパンパンで、自分の体のことは後回し。
「とにかく疲れました…今振り返ると頑張ったなって。でも、これからどのように進めていくべきかを考えるきっかけになりました。大変だったけれど、乗り越えてよかったし、あの時期が今に活きているなと思います」。
十分に疲れが取れない日が続いても、体に鞭を打ってでも乗り越えられたのは、IKI LUCAアイテムに興味を持ってくれたお客さまがいたから。
POP UPは大変なことだけではなかった。
お客さまの声が聞けたり、直接購入してもらえる時の喜びや楽しみはとても大きかった。
当時のことを話す小倉さんの表情は穏やかで、感動や嬉しさが溢れていた。
そうしてコツコツと経験を重ねた彼女は、夢への第一歩となるチャンスを掴んだ。
それは、念願の海外出店だった。場所は、ベルギーのブリュッセルと台湾の高雄。
日本から遠く離れた地で久留米絣が受け入れられるのかという不安。
行動することで何か新しい可能性を産むかもしれないという希望。
様々な想いのもとIKI LUCAアイテムを海外の地で広げた。
立ち寄ってくれる現地の方は、思っていた以上にジャパンブルーの藍染めに興味を持ってくれ、「Beautiful !」とお褒めの言葉を掛けてくれた。
中には、IKI LUCAの話を真剣に聞いてくれる人や日本文化に興味を持ち、日本語で話しかけてくれる人も。
絣の魅力は、国境に関係なく広がっていく。
まさに久留米絣が、久留米から世界へ羽ばたく第一歩だった。
ブランドを立ち上げてからの葛藤
小倉さんの華やかな経験と順調に感じるブランドの歩みだが、今の彼女が感じているのは、目標と現実のギャップだった。
というのも、小倉さんは、ものづくりをしている知り合いを参考に、同じ売上目標を掲げていた。
金融業界時代に、ものづくりの企業を担当していたこともあり、ものづくりのビジネスについて理解しているつもりだったのだ。
しかし、実際に自分がブランドを立ち上げ、その立場になって分かったのは、目標にした数字の大きさと重さ、そして難しさだった。
自分がやりたいことに挑戦しながら、ブランドを継続させることは、簡単な道ではないのだ。
「ブランドを立ち上げて、辞めたいと思ったことはありませんか?」
という質問に対して、小倉さんは即答だった。
「辞めたいと思ったことはありません。苦しいというか、難しいと感じることはあるけれど」。
金融業界にいた頃はお金がお金を産むような仕事、今はものをつくって売るというシンプルなビジネスモデル。経験してきたことと全然違う経済の回り方だからこそ、難しさを感じるという。
「IKI LUCAが進化する余白はまだまだあると思っています。自分の力不足でうまくできていないところがあるけれど、根っこのコンセプトや方向性は、知っていただいたみなさまの反応をみているとかなり良いと思うので丁寧に育てていきたいです」。
丁寧に育てながらも、沢山の方に知ってもらえるよう、活動の幅は広げなければならない。
このバランスがこれからのIKI LUCAの課題だという。
出会った人に希望やワクワクを届けたい

小倉さんが見ているのは、一着の向こう側だった。
「旅をし続け、出会った人に希望とか、ちょっとしたワクワク、新しい世界の扉を開くきっかけとなるような存在になれたらいいなと思います」。
自分が得た発見を、ちょっとしたお裾分けとして、また誰かに還元できたら。
いいねの共感を広げていけば、人との繋がりが増えていけば。
自ずと、人に優しくできる人が増えていくのではないか。
そんなふうに、IKI LUCAを久留米と世界の架け橋にすることで、『出会った人の豊かさが広がるように』と小倉さんは考えている。

取材を通して、小倉さんには二つの大きな軸があるように感じた。
一つは、『新しいことに挑戦し、とことん行動し、心のままに生きていくこと』。
そしてもう一つが、『久留米が繋いできた文化への愛』だ。
小倉さんは、久留米という土地や、そこでものづくりをするには欠かせない筑後川の水、そして久留米絣を繋いできた人々に、大きな愛と敬意を持っている。
そんな彼女が手がけるIKI LUCAの旅衣は、『地域の魅力をどう見出し、世界へどう手渡していくのか』という大きな問いへ、新たな向き合い方があったことを教えてくれる。
同時に、『ワクワクする未来の可能性』に気付かせる力を持っているようでもある。
彼女の生き方に触れて、改めて、筆者はこんなことを思う。
初めてIKI LUCAに出会い、久留米絣愛とアイテムにときめきを感じた私のように、
IKI LUCAに出会った人が、新しい世界を見られますように。
そして日本の伝統と、その心地よさを通して、日々の暮らしがより豊かになる人が増えますように。
【IKI LUCA】
HP:https://ikiluca.com/
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