伝統と技術を守り、自分らしい作品を。伝統工芸 博多おきあげ作家 三代目 / フィットネスインストラクター 清水裕美子

「好きなことを仕事にできたらいいな」と、思ったことはないだろうか。
けれど、「好きなこと」がはじめから見つかるとは限らない。
続けるうちに、少しずつ自分の「好き」になっていくものもある。
「最近になって、おきあげが楽しくなってきた」。
そう笑顔で話すのは、博多おきあげを三代にわたり受け継ぐ、清水裕美子さん。

布に綿を重ね、絵柄をふっくらと立体的に仕上げる「博多おきあげ」。博多に伝わる、押絵の技法を用いた伝統工芸だ。
羽子板に人物や縁起物をあしらった昔ながらの作品には、どこか懐かしさがある。
一方で、清水さんが手がける作品には、犬や猫、小さな飾り物など、思わず「かわいい」と声が出てしまうような作品も多い。
初めて清水さんに会ったとき、作品と重なるような生き生きとした明るい笑顔に、その場の空気がパッと明るくなるのを感じた。
話を聞いていると、好きだという健康やフィットネスの話になるたびに、表情がさらに明るくなる。しかし、博多おきあげの話になると、少し違った表情も見えてくる。
祖母から母へ、受け継がれてきたもの
清水さんは、祖母、母、そして自身へと三代にわたって博多おきあげを受け継いできたが、その道のりは、最初から「好き」という気持ちに導かれたものではなかったという。
「祖母は学校でおきあげを習ったことがきっかけで好きになって、ずっと趣味で続けていたんです。母も手仕事が好きで、その中でも特におきあげが好きだった。でも私は、ふたりのように好きではじめたわけではないんです」。
おきあげは、物心ついたころから身近にあるもの。母が作品を作る姿も、日常の風景の一つだった。

「いつもそばにあるものだったので、特別なものっていう意識が全くなかったんですよね。母が『これかわいいでしょ』って作品を見せてくれても、『うん。そうだね』って。当時の私には少し古く感じて、羽子板を見てもあまり興味が湧かなかったんです」。
清水さんにとっておきあげは、好きと呼べるものではなかったのだ。
好きだからはじめたわけでも、特別なものだと感じていたわけでもない。
それでも、清水さんはおきあげに30年以上も携わってきた。
いったい何が清水さんをここまで続けさせてきたのだろう。
「続ける」と「やめる」の間で
清水さんがおきあげの制作を手伝いはじめたのは、20歳前後のころ。
母が作る作品の手伝いをしたり、母との合作で博多の三大祭りを題材にした作品や展示用の作品などにも関わりながら、少しずつおきあげを作る側になっていった。

「母の教室には、30年以上通う生徒さんも多いんです。だけど、時代とともに作り手が少なくなってきていて」。
そんな状況の中で、清水さんは母からの期待も感じていたという。
「祖母から母が継いだ意思を、私も継いでいきたいという気持ちはありました。母が私にやってもらいたいっていう気持ちも、ひしひしと感じていたんです。だから、三代目として受け継ぐことにしましたね」。
母が長年続けてきた教室と、祖母から母へと受け継がれてきたおきあげ。
そこに込められた母の思いを知り、清水さんは自分も三代目として受け継いでいくことを決めた。

けれど、三代目として関わるようになっても、おきあげを好きにはなれなかったという。
むしろ、ここから清水さんにとっては、長い試行錯誤の時間が始まった。
「自分が好きなものを作るなら楽しいけど、最初は教わる段階だったから大変でした」。
清水さんが難しさを感じていたのは、技術だけではなかった。
おきあげの顔を描く面相を覚えていたころ、自分では「どう見てもうまく描けていない」と思っていたが、母は褒めてくれた。
「母は、私に続けてもらいたかったんだと思う」。
それがわかっていたからこそ、清水さんの中にも「やっぱり続けないといけない」という思いがあったという。
「自分の実力以上のことを母が求めていたように感じることもあって。母の顔色をずっと見ていたような気がするんですよね」。
「伝統を残したいっていう母の思いが強くて。私の作品を見せても、納得していないなと感じていました。それならもういいやって思うこともありましたね。母から頭を押さえられているような感じがして、のびのびとできなかった」。と話す清水さん。
「好きになるためにどうしたらいいか」と考えながら、何度も「もうやめたい」と思った。
それでも、清水さんがおきあげから離れることはなかった。

「なんで続けられたのだろうって、ふと考えるんです。そしたら、やっぱり嫌いだったらやめてるよねって思うんですよ」。
その言葉を聞いて、ふと考えた。
もしかすると清水さんは、続けてきた理由を探す中で、自分でも気づいていなかった「好き」に少しずつ近づいているのかもしれない。
続けた先で「好き」を見つける
清水さんにとって、母との関係が大きな変化になった。
おきあげを続けてきた二代目の母は、今年で90歳になる。
「ある程度もう私に任せてくれているんです。だから、やっと羽ばたけるようになったのかもしれない」。
「今の時代に合う、自分がかわいいと思えるもの。人が手に取って微笑んでもらえるもの。そんな幸せを感じられる作品が作れたらいいなと思うようになったんです」。
これまで教わってきた技術を土台に、色やモチーフを考え、自分なりの作品を生み出した。
それが、三代目の清水さんが手がける、動物や季節をモチーフにしたかわいらしい作品たちだ。

自分がかわいいと思えるものを形にするには、時間も手間もかかる。
それでも、一つひとつを丁寧に作り、完成したときには疲れが飛ぶほど嬉しいのだそう。
「すごく大変だったけど、自分でデザインするようになってやっと好きになれた。それがここ数年のことなんです」。
30年以上も続けてきたおきあげが、ようやく「好き」に変わったのだ。
好きだからはじめるのではなく、続ける中で自分の「好き」を見つけた。
清水さんの話を聞いていると、そんな道もあるのだと思った。

実際に見せてもらうと、小さな飾り物や身につけられるものなど、暮らしの中に置いておきたくなる作品も数多い。
どれも表情や色づかいが愛らしく、思わず手に取りたくなるものばかりだった。
特に印象に残ったのが、「表情」だ。少し角度が違うだけでも、まったく違う顔に見える。
目や口元のわずかな違いで表情が変わることに驚き、どのように顔を描いているのか訊ねると、清水さんはこんな話を聞かせてくれた。
「最初は、おきあげの顔を描く『面相』から学びはじめたんです。紙に描くのとは違って、布には凹凸があるので、筆を走らせてもうまくいかないと線が掠れてしまう。顔彩の濃さもすごく大事なんですよ」。

さらに、目尻や目、鼻、口の位置にはバランスがあり、ほんの少し違うだけでも顔の印象は変わる。
「バランスには黄金比が必ずあるんです。何もない白紙の状態から描くのは、技術がいるんですよ」。
一つひとつのパーツを描きながら、そのわずかな違いを見極め、筆一本で表情を作り出すのだそう。
さらに、面相には技術だけではなく、そのときの気持ちも表れるという。
「心が曇っているときは、顔は描かないんです。自分の気持ちが晴れているときのほうが、いい顔が描けるんですよ。『いい顔が描けますように』って思いながら描いていますね」。
小さな顔に筆を入れるとき、清水さんが大切にしているのは、線の正確さだけではない。
どんな気持ちで向き合うか。それもまた、表情を作る大切な要素なのだ。

「自分自身が、かわいい作品に癒されていますね」。
そんな「かわいい」作品を作るのには、清水さんなりの理由もある。
「おきあげを、もっと若い人や子どもたちにも知ってもらいたいんです。そのためには、まず『かわいい』『これ欲しい』って思ってもらえるものを作ることが大事だと思っていて。そこから、おきあげを知ってもらえたら嬉しいですね」。
伝統的な技法を生かしながら、自分たちの暮らしの中に取り入れたくなるもの。
受け継いできた技術に自分の感覚を重ねながら、おきあげの新しい形を生み出している。
二つの仕事を「本業」と言えるように
おきあげを続ける一方で、清水さんにはもう一つ向き合っている仕事がある。
フィットネスインストラクターだ。

学生時代に器械体操をしていた清水さんは、もともと体を動かすことが好きだった。
高校卒業後には、4年ほどインストラクターとして働いていた時期もあるのだそう。
その後、育児などで運動を教える仕事から離れていたが、55歳という節目を転機に、再びインストラクターとして活動をはじめた。
きっかけは、「やっぱり運動していたい」という気持ちだったという。
「人生一回きりじゃないですか。やればよかったって思うよりは、やってダメだったらそれでもいいんですよ。今できるときにやるっていう気持ちを大切にしていますね」。
現在は、カルチャーセンターなどでシニア向けのフィットネスを教えている。
「運動すると爽快感があるし、血の流れも良くなれば頭もクリアになるんです。それで、いい顔が描けたり、いい発想に繋がればいいなって。やっぱり体を動かすのが好きなんですよね」。
清水さんにとって、運動は気分転換になるだけではない。
頭を切り替え、またおきあげに向かうための時間にもなっている。
おきあげとフィットネス。
繊細な作業と向き合う仕事と、体を動かしながら健康を伝える仕事。
まったく違う世界に感じるが、二つの仕事を続ける今の清水さんには、それぞれの場所で自分らしくいられる時間があるのだろう。
そうした変化は、清水さんの活動にも表れている。
最近、Instagramでフィットネスについて発信をはじめたのだ。
これまでは、フィットネスインストラクターの仕事を周囲に伝えることを控えていたという。
「伝統工芸のおきあげとフィットネスでは、あまりにも雰囲気が違う。だから、二足のわらじで活動していることを、あまり良く思われないのではないかって、そんな気持ちもありました」。
けれど、フィットネスをはじめて6年ほど。少しずつ周囲にも活動が定着し、おきあげにも自分なりの楽しみ方を見つけられるようになった。
「フィットネスの活動がようやく周りに定着してきたし、おきあげも楽しくなってきたから『両方が私の本業としてやっています』って言える自信がついたんですよね」。
「だから今後は、おきあげとフィットネス、どちらも同時進行で活動していきたい」。
どちらかを選ぶのではなく、それぞれを続けてきたからこそ、自分が何を好きで、何を続けていきたいのかが、少しずつ見えるようになってきた。
そして、変わったのは仕事の形だけではない。
「運動することで体調が改善されて、気持ち的にもポジティブになって、それが表に出てくるんですよ」。
フィットネスの話になると、清水さんの表情がパッと明るくなる。
初めて会ったときに感じた、あの生き生きとした雰囲気。
その理由の一つは、こうした日々の積み重ねにあるのかもしれない。
自分なりの楽しみ方を見つけて
「30年以上続けてきたからこそ、おきあげに対して思うことがある」という清水さん。

「今やっと、長い年月をかけて身につけたものって、たくさんあるんだなって感じるんです。だから、本当に感謝しています」。
「他では買えないものを自分が手作りしてお渡しできるという喜び。それはかけがえのないものだなって思いますね」。
今は、作品を手に取った人が喜んでくれる。そんな瞬間がとても幸せだと話してくれた。
「1日に1回誰かに喜んでもらえたらいいなって。それが自分のモットーなんです」。
「あとはやっぱり、自分がハッピーでいることが一番ですね」。
そう話す清水さんの笑顔は、取材の間、何度もその場を明るくしていた。
おきあげも、フィットネスも。
清水さんがこれからどんなものを作り、どんなふうに楽しんでいくのか。
その先を、もう少し見ていたくなった。
【伝統工芸 博多おきあげ】
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この記事の執筆者
福岡県在住。トレンド好きのフリーライター。
「人のストーリーや想いを言葉に」
取材を通して、その人の新たな一面に出会えることが楽しみです。




